1. はじめに
インターネットの普及により、国境を越えたビジネスが日常的になっています。しかし、この状況は商標権侵害の問題を複雑化させました。特に、外国企業による侵害行為に対して、米国の裁判所がどこまで管轄権を行使できるかが大きな課題となっています。
この点について、第2巡回区連邦控訴裁判所(United States Court of Appeals for the Second Circuit)が、画期的な判決を下しました。American Girl, LLC v. Zembrka事件(以下、American Girl事件)です。本判決は、外国企業に対する個人管轄権(personal jurisdiction)の範囲を大幅に拡大し、米国の商標権者にとって朗報となりました。
従来、外国企業に対する管轄権の行使には、実際の商品の配送や物理的な取引の証拠が必要とされることが多かったのです。しかし、本判決はこの考え方を覆し、オンライン上の取引だけでも十分な根拠になり得ることを示しました。
この判決は、グローバル経済におけるeコマースの重要性を認識し、法的枠組みをより現代的なものへと進化させたと言えるでしょう。本稿では、この画期的な判決の詳細と、それが米国の商標法実務にもたらす影響について深く掘り下げていきます。
2. 事件の背景
2.1 当事者と主張
本件の原告は、アメリカを代表する人形メーカーであるAmerican Girl, LLCです。同社は、自社の商標権を侵害する模倣品が販売されていることを発見し、法的措置を講じることを決意しました。
一方、被告は中華人民共和国に拠点を置くZembrka社です。同社は、複数のウェブサイト(www.zembrka.com、www.daibh-idh.com)を通じて、American Girl社の商標を無断で使用した商品を販売していました。
American Girl社は、Zembrka社による商標権侵害行為に対して、ニューヨーク南部地区連邦地方裁判所(United States District Court for the Southern District of New York)に訴訟を提起しました。訴状では、商標の偽造(counterfeiting)と商標権侵害(trademark infringement)が主張されました。
2.2 管轄権をめぐる争い
本件の核心は、ニューヨーク州の裁判所が中国企業であるZembrka社に対して管轄権を行使できるかという点にありました。
Zembrka社は、ニューヨーク州の長期管轄権法(long-arm statute)であるC.P.L.R. § 302(a)(1)に基づく管轄権の行使は不適切だと主張しました。同社の主張によれば、ニューヨーク州内で実際に商品を販売した証拠がないため、「取引(transacting business)」の要件を満たしていないというのです。
これに対し、American Girl社は、Zembrka社のウェブサイトがニューヨーク州の顧客からの注文を受け付け、支払いを処理し、注文確認メールを送信していたことを証拠として提示しました。同社は、これらの行為がニューヨーク州内での「取引」に該当すると主張したのです。
地方裁判所は当初、Zembrka社の主張を認め、商品の実際の配送がない限り「取引」は成立しないとして、管轄権の行使を否定しました。しかし、American Girl社はこの判断を不服として控訴。
この管轄権をめぐる争いは、インターネット時代における国際的な商取引と法的管轄権の問題を浮き彫りにしました。従来の物理的な商品の移動を前提とした法解釈が、デジタル時代にどこまで適用可能かが問われることとなったのです。
3. 第2巡回区控訴裁判所の判決
3.1 「取引」の定義の拡大
第2巡回区控訴裁判所は、American Girl社の主張を認め、地方裁判所の判断を覆す画期的な判決を下しました。裁判所は、C.P.L.R. § 302(a)(1)における「取引」の定義を大幅に拡大解釈したのです。
判決では、「ニューヨーク州内での1回の取引の証明で十分であり、被告がニューヨーク州に入らなくても、その活動が目的を持って行われ、訴訟の対象となる請求との間に実質的な関係がある限り、管轄権を発動するのに十分である」(”proof of one transaction in New York is sufficient to invoke jurisdiction, even though the defendant never enters New York, so long as the defendant’s activities here were purposeful and there is a substantial relationship between the transaction and the claim asserted.”)と述べられました。この解釈により、物理的な商品の配送を伴わない純粋なオンライン取引であっても、「取引」として認められる可能性が開かれたのです。
さらに裁判所は、Zembrka社がニューヨーク州の配送先住所を受け付け、確認メールを送信し、ニューヨーク州の顧客から支払いを受けた事実を重視しました。これらの行為が、ニューヨーク州内での「取引」を構成するとの判断を下したのです。
3.2 インターネット取引と個人管轄権
本判決は、インターネット取引と個人管轄権の関係について重要な指針を示しました。裁判所は、インタラクティブなウェブサイトを通じた取引が、従来の物理的な取引と同等の法的効果を持ち得ることを認めたのです。
特筆すべきは、裁判所が注文のキャンセルや返金が行われた事実を重視しなかった点です。C.P.L.R. § 302(a)(1)は「取引」を要件としているのであって、その取引が完了することまでは求めていないと判断されました。つまり、取引の開始段階で個人管轄権が発生し得るという解釈が示されたのです。
この判断は、Chloe v. Queen Bee of Beverly Hills事件(以下、Chloe事件)における第2巡回区控訴裁判所の2010年の判決を再解釈するものでもありました。Chloe事件では、商品の配送が「取引」の不可欠な要素であるかのような印象を与えていましたが、今回の判決でその解釈が修正されたのです。
さらに、裁判所は憲法上のデュー・プロセス(Due Process)の要件も考慮しました。デュー・プロセス(適正手続)とは、政府が個人の生命、自由、財産を侵害する前に、公正な法的手続きを保障する憲法上の原則です。米国憲法修正第5条および第14条に規定されており、連邦政府と州政府の両方に適用されます。
外国企業に対する管轄権の行使が「公平性と実質的正義の伝統的概念」(”traditional notions of fair play and substantial justice”)に反しないかを検討し、Zembrka社がニューヨーク州の顧客に商品を販売することでこのリスクを引き受けたと判断しました。
この判決により、インターネットを通じて米国市場にアクセスする外国企業は、より慎重な法的リスク管理を求められることになりました。同時に、米国の商標権者にとっては、外国企業による侵害行為に対してより効果的な法的措置を講じる道が開かれたと言えるでしょう。
4. 判決の影響
4.1 商標権者にとっての意義
American Girl事件の判決は、米国の商標権者にとって大きな意義を持ちます。この判決により、外国企業による商標権侵害に対する法的措置の選択肢が大幅に拡大したのです。
従来、商標権者は外国企業による侵害に対して、主に第9巡回区控訴裁判所や第7巡回区控訴裁判所の管轄下にある裁判所での訴訟を選択していました。これらの裁判所では、インタラクティブなウェブサイトを通じた商品の購入と州内への配送があれば、個人管轄権の行使が認められていたからです。
しかし、今回の判決により、第2巡回区控訴裁判所の管轄下にある裁判所でも、より柔軟な基準で外国企業に対する訴訟が可能になりました。商品の実際の配送がなくても、オンライン上の取引だけで個人管轄権の行使が認められる可能性が高まったのです。
これは、特にニューヨーク州南部地区連邦地方裁判所での訴訟提起を容易にします。同裁判所は知的財産権訴訟の経験が豊富で、効率的な審理が期待できることから、商標権者にとって魅力的な選択肢となるでしょう。
さらに、この判決は模倣品対策の強化にもつながります。外国企業が米国の裁判所の管轄から逃れることが難しくなったため、模倣品の製造・販売に対する抑止力となることが期待されます。
4.2 外国企業にとってのリスク
一方、この判決は米国市場で事業を展開する外国企業にとっては大きなリスクとなります。特に、eコマースプラットフォームを通じて米国の消費者と取引を行う企業は、より慎重な法的リスク管理が求められることになりました。
まず、米国の消費者からオンラインで注文を受け付けるだけで、その州の裁判所の管轄に服する可能性が高まりました。これは、実際に商品を配送していなくても、また支払いを受け取っていなくても同様です。
また、注文をキャンセルしたり返金したりしても、すでに「取引」が開始されたとみなされる可能性があります。つまり、一度注文を受け付けた時点で、その州の裁判所の管轄権から逃れることが難しくなったのです。
さらに、この判決は商標権侵害訴訟に限らず、他の知的財産権訴訟や一般的な民事訴訟にも影響を与える可能性があります。米国の裁判所が、より広範な状況で外国企業に対する管轄権を主張する根拠となる可能性があるのです。
したがって、米国市場でビジネスを展開する外国企業は、自社のウェブサイトの運営方法や、米国の消費者との取引プロセスを見直す必要があるでしょう。特に、知的財産権の侵害リスクが高い製品を扱う企業は、より慎重な対応が求められます。
5. 実務への示唆
5.1 商標権者の対応策
American Girl事件の判決を受けて、商標権者は自社の権利保護戦略を見直す好機を得ました。以下に、実務上の対応策をいくつか提案します。
- 証拠収集の強化: オンライン上の取引を証明する証拠の収集が極めて重要になります。ウェブサイトのスクリーンショット、注文確認メール、支払い記録など、取引の各段階を示す証拠を系統的に保存しましょう。
- 管轄権の戦略的選択: 第2巡回区控訴裁判所の管轄下にある裁判所、特にニューヨーク南部地区連邦地方裁判所での訴訟提起を積極的に検討しましょう。ただし、他の巡回区の判例法理との整合性も考慮する必要があります。
- 仮処分命令(Temporary Restraining Order、TRO)の活用: 本件でAmerican Girl社が行ったように、侵害行為の早期差止めのためTROの申立てを検討しましょう。オンライン取引の証拠があれば、商品の実際の配送前でもTROが認められる可能性が高まりました。
- デジタルフォレンジック技術の活用: 侵害者のウェブサイトやオンライン取引の痕跡を専門的に分析し、法的に有効な証拠を収集するためのデジタルフォレンジック技術の導入を検討しましょう。
- 国際的な執行戦略の見直し: この判決を踏まえ、米国外の侵害者に対する法的措置の全体的な戦略を再評価しましょう。米国での訴訟と他国での執行手続きを効果的に組み合わせることで、より包括的な権利保護が可能になるかもしれません。
5.2 外国企業の注意点
一方、米国市場で事業を展開する外国企業、特に日本企業は、以下の点に注意を払う必要があります。
- ウェブサイトの設計見直し: 米国の消費者向けのウェブサイトが、意図せず個人管轄権を生じさせる可能性があります。地域制限(ジオブロッキング)の導入や、取引条件の明確化を検討しましょう。
- 利用規約の改訂: ウェブサイトの利用規約に、管轄権や準拠法に関する条項を明確に記載しましょう。ただし、こうした条項が常に有効とは限らないことに注意が必要です。
- 商標権侵害リスクの再評価: 自社製品やサービスが米国の商標権を侵害していないか、改めて精査しましょう。特に、オンラインでの販売活動に関しては慎重な検討が必要です。
- 米国法人の設立検討: 米国内に子会社や関連会社を設立することで、親会社への管轄権の及ぶリスクを軽減できる可能性があります。ただし、コストと利点を慎重に比較検討する必要があります。
- 保険の見直し: 国際的な知的財産権訴訟のリスクをカバーする保険の加入や、既存の保険の補償範囲の見直しを検討しましょう。
- 迅速な法的対応の準備: 米国の裁判所から訴状が送達された場合、迅速に対応する必要があります。米国の弁護士との連携体制を事前に整えておくことが重要です。
本判決は、eコマースの時代における国際的な知的財産権保護の新たな指針となりました。商標権者と外国企業の双方が、この判決の影響を十分に理解し、適切な対応を取ることが求められています。
6. 結論
American Girl, LLC v. Zembrka事件における第2巡回区控訴裁判所の判決は、インターネット時代の商標権保護に新たな地平を開きました。オンライン取引のみでも個人管轄権を確立できるという判断は、米国の商標権者に有利に働く一方で、外国企業にとっては新たなリスクとなります。この判決は、グローバルなeコマース環境下での法的枠組みの進化を示すものであり、今後の国際的な知的財産権訴訟に大きな影響を与えるでしょう。商標権者は積極的な権利保護戦略を展開する機会を得た一方で、米国市場で事業を展開する外国企業は、より慎重なリスク管理が求められることになります。デジタル時代における知的財産権保護の新たな指針として、本判決の重要性は今後も増していくことでしょう。