1. はじめに
米国の商標法において、商標の「使用」は極めて重要な概念です。最近、この点を改めて浮き彫りにした注目すべき判決が下されました。米国第一巡回区控訴裁判所(United States Court of Appeals for the First Circuit)は、To-Ricos, Ltd. v. Productos Avícolas Del Sur, Inc.事件(以下、To-Ricos事件)において、長期間の商標不使用が商標の放棄につながる可能性を明確に示しました。
この判決は、特に海外展開を視野に入れる日本企業にとって、重要な教訓を含んでいます。米国市場で商標権を維持するためには、単に登録を行うだけでは不十分であり、継続的な使用が不可欠だということを改めて認識させられます。
本稿では、To-Ricos事件の詳細を分析し、米国商標法における「使用」の重要性、そして商標の放棄(abandonment)に関する法的解釈について深く掘り下げていきます。さらに、この判決が日本企業の米国における商標戦略にどのような影響を与えるか、実務的な観点から考察していきます。
2. 事件の背景
2.1. 当事者と商標
本件の主要な当事者は、To-Ricos, Ltd.(以下、To-Ricos社)とProductos Avícolas del Sur, Inc.(以下、PAS社)の2社です。両社はプエルトリコで鶏肉製品を販売する競合企業でした。

争点となった商標は「Pollo Picú」(以下、Picú商標)で、これはスペイン語で「ピクのチキン」を意味します。Picú商標は、「Pollo Picú」の文字列とニワトリのキャラクターを組み合わせたものでした。プエルトリコの消費者の間では、この商標は非常に高い認知度を持ち、ある業界幹部は「Pollo Picú」をプエルトリコの鶏肉業界における「コカ・コーラ」と称するほどでした。
2.2. 時系列
事件の経緯を時系列で追ってみましょう:
- 2005年~2011年:PAS社がPicú商標を使用して鶏肉製品を販売。
- 2011年:PAS社が財政難により商標の使用を停止。
- 2012年1月:PAS社の銀行が、以前の融資契約に基づいてPAS社の資産(Picú商標を含む)に対する先取特権を主張し、訴訟を提起。
- 2014年10月:PAS社と銀行が和解契約を締結。この契約では、PAS社が2014年12月までに指定された金額を支払わない場合、銀行がPAS社の大部分の資産を差し押さえる権利を得るが、Picú商標は除外されていた。
- 2016年4月:To-Ricos社がPicú商標の登録を米国特許商標庁(USPTO)に申請。
- 2016年7月:PAS社もPicú商標の再登録を申請し、To-Ricos社の申請に異議を申し立て。
- 2017年:PAS社がIMEX社にPicú商標の米国における使用権をライセンス。IMEXはしばらくの間この商標を使用して鶏肉を販売したが、To-Ricos社からの警告状を受けて使用を中止。
- 2019年6月:To-Ricos社がPicú商標を使用して鶏肉製品の販売を開始。同時に、To-Ricos社がPAS社を相手取り、Picú商標の正当な所有者であることの確認を求める訴訟を提起。
この時系列から、PAS社が2011年から2016年までの5年間、Picú商標を実質的に使用していなかったことがわかります。この長期間の不使用が、後の法的争点の中心となりました。次のセクションでは、この事実関係がどのように法的争点につながったのかを詳しく見ていきます。
3. 法的争点
本件の中心となる法的争点は、PAS社がPicú商標を放棄したか否かという点です。この争点は、米国商標法(ランハム法)の解釈と適用に大きく関わっています。
3.1. 商標の放棄
商標の放棄(abandonment)は、米国商標法において重要な概念です。ランハム法第45条(15 U.S.C. §1127)によれば、商標の放棄は以下の2つの要素によって構成されます:
- 商標の不使用
- 合理的に予見可能な将来における使用再開の意図の欠如
特に注目すべきは、同法が「3年間連続して使用されていない場合、それは放棄の一応の証拠となる」(Nonuse for 3 consecutive years shall be prima facie evidence of abandonment.)と規定している点です。この規定により、3年間の不使用が立証されれば、商標権者側に反証の責任が移ります。
本件では、PAS社が2011年から2016年までの5年間、Picú商標を使用していなかったことが明らかでした。この期間は法定の3年を大きく上回っており、放棄の推定を生じさせるには十分でした。
3.2. 使用再開の意図
放棄の推定が生じた場合、商標権者は使用再開の意図(intent to resume use)があったことを示す証拠を提出することで、この推定を覆すことができます。ただし、単なる将来の使用可能性や漠然とした再使用の希望では不十分です。裁判所は、具体的かつ説得力のある証拠を求めます。
PAS社は、以下の3点を使用再開の意図の証拠として主張しました:
- 2012年におけるTo-Ricos社へのPicú商標を含む資産売却の試み
- 銀行との和解交渉におけるPicú商標の保持努力
- 2017年のIMEX社とのライセンス契約
しかし、これらの主張は、後述する理由により、裁判所に受け入れられませんでした。
さらに、PAS社は財政的困難が商標不使用の正当な理由になると主張しました。この主張は、商標放棄の法理解釈に関する重要な論点を提起しました。PAS社の見解によれば、財政的困難のような制御不能な状況下での一時的な使用中断は、放棄を構成しないはずだというものでした。
これらの争点に対する裁判所の判断は、米国商標法の解釈と適用に重要な影響を与えるものでした。次のセクションでは、裁判所がこれらの争点をどのように扱ったかを詳しく見ていきます。
4. 裁判所の判断
本件は、連邦地方裁判所での第一審を経て、第一巡回区控訴裁判所で最終的な判断が下されました。両裁判所の判断は、米国商標法における商標の放棄に関する重要な法解釈を示しています。
4.1. 第一審の判決
連邦地方裁判所は、To-Ricos社の主張を認め、PAS社がPicú商標を放棄したとの判断を下しました。裁判所は以下の点を重視しました:
- PAS社が少なくとも3年間連続して商標を使用していなかったこと。
- PAS社が法定の期間内に商標の使用を再開する意図を示す十分な証拠を提示できなかったこと。
特に注目すべきは、裁判所がPAS社の財政的困難を商標不使用の正当な理由として認めなかった点です。裁判所は、ランハム法が定める3年間の不使用による放棄の推定は、その理由を問わず適用されるとの立場を取りました。
この判断により、To-Ricos社にPicú商標の使用権が認められ、サマリージャッジメント(略式判決)が下されました。
4.2. 控訴審の判決
PAS社は第一審判決を不服として第一巡回区控訴裁判所に上訴しましたが、控訴審も第一審の判断を支持しました。控訴審の判決は、商標の放棄に関する法解釈をさらに明確にしました。
- 3年間の不使用規定の解釈:控訴裁判所は、ランハム法の「3年間連続して使用されていない場合、それは放棄の一応の証拠となる」という規定は、不使用の理由を問わず適用されると明確に述べました。リペツ判事(Judge Lipez)は、「法律は商標の冬眠の理由に無関心である(the statute is agnostic about the reason for a mark’s hibernation)」と表現し、財政的困難や訴訟等の理由は考慮されないことを強調しました。
- 使用再開の意図の証明:控訴裁判所は、放棄の推定を覆すためには、法定期間内に「合理的に予見可能な将来における使用再開の意図」を示す具体的な証拠が必要だとしました。PAS社が提示した証拠(資産売却の試み、銀行との交渉、ライセンス契約)は、いずれもこの基準を満たさないと判断されました。
- 「裸のライセンス(naked licensing)」の問題:2017年のIMEX社とのライセンス契約について、裁判所は品質管理が適切に行われていない「裸のライセンス」であったとし、使用再開の意図の証拠とはならないと判断しました。
控訴裁判所のこの判断は、米国商標法における商標の放棄に関する解釈を明確にし、商標権者に対して商標の継続的な使用の重要性を強く示すものとなりました。次のセクションでは、この判決から導き出される重要なポイントについて詳しく見ていきます。
5. 判決の重要ポイント
To-Ricos事件の判決は、米国商標法における商標の放棄に関する重要な法解釈を示しました。この判決から導き出される主要なポイントを以下に詳しく解説します。
5.1. 3年間の不使用による法定推定
判決は、ランハム法に規定される3年間の不使用による放棄の推定を厳格に適用しました。この法定推定は、商標権者に対して重要な警告を発しています。
- 絶対的な基準:3年間の連続不使用は、その理由を問わず放棄の一応の証拠(prima facie evidence)となります。
- 立証責任の転換:3年間の不使用が証明されれば、商標権者側に反証の責任が移ります。
- 時期の明確化:To-Ricos事件では、To-Ricos社が商標登録を申請した2016年から遡って3年間(2013年から2016年)が判断の対象期間とされました。
この厳格な適用は、商標権者に対して、定期的な商標の使用状況の確認と記録の重要性を強調しています。
5.2. 財政的困難は正当な理由とならない
PAS社の主張の中で特に注目されたのは、財政的困難が商標不使用の正当な理由になるという主張でした。しかし、裁判所はこの主張を明確に退けました。
- 理由の不問:裁判所は「法律は商標の冬眠の理由に無関心である」と述べ、不使用の理由を問わないことを明確にしました。
- 広範な影響:この判断は、財政的困難だけでなく、訴訟や企業再編、サプライチェーンの混乱などの理由も同様に考慮されないことを示唆しています。
- 実務への影響:この判断により、商標権者は困難な状況下でも何らかの形で商標を使用し続ける必要性に迫られることになります。
5.3. 使用再開の意図の証明
放棄の推定を覆すためには、商標権者は使用再開の意図を具体的に示す必要があります。判決は、この「意図」の証明に関する重要な指針を提示しました。
- 具体的な証拠の必要性:単なる将来の使用可能性や漠然とした再使用の希望では不十分です。「合理的に予見可能な将来における使用再開の意図」を示す具体的な証拠が求められます。
- 時期の重要性:使用再開の意図は、3年間の法定期間内に存在していたことを示す必要があります。To-Ricos事件では、2013年から2016年の期間が対象でした。
- 「裸のライセンス」の問題:PAS社が提示したIMEX社とのライセンス契約は、品質管理が適切に行われていない「裸のライセンス」と判断され、使用再開の意図の証拠として認められませんでした。これは、ライセンス契約を通じて商標の使用を継続する場合でも、適切な品質管理が不可欠であることを示しています。
この判決は、商標権者に対して、商標の不使用期間中も具体的な使用再開の計画を立て、それを実行に移すための明確な行動をとることの重要性を強調しています。また、そのような行動の証拠を適切に保管しておくことの必要性も示唆しています。
これらのポイントは、米国で商標権を維持しようとする企業、特に海外企業にとって重要な指針となります。次のセクションでは、この判決が日本企業に与える影響と、取るべき対策について考察します。
6. 日本企業への影響と教訓
To-Ricos事件の判決は、米国で商標権を保有する日本企業に重要な教訓を提供しています。グローバル展開を進める日本企業にとって、この判決の影響を理解し、適切な対策を講じることが不可欠です。
6.1. 米国商標の定期的な使用の重要性
本判決は、米国における商標の「使用」の重要性を改めて浮き彫りにしました。日本企業は以下の点に特に注意を払う必要があります:
- 継続的な使用の必要性: 米国では、商標登録を維持するためには継続的な使用が不可欠です。日本の商標制度とは異なり、単に登録を更新するだけでは不十分であり、実際の商業的使用が求められます。
- 使用証拠の保管:商標の使用を示す証拠(販売記録、広告資料、商品パッケージなど)を定期的に収集し、適切に保管することが重要です。これらの証拠は、将来的に商標の使用を証明する必要が生じた際に非常に有用です。
- 定期的な使用状況の確認:少なくとも3年に1回は、各商標の使用状況を確認するプロセスを社内に設けることを推奨します。これにより、不使用による放棄のリスクを最小限に抑えることができます。
- トークン使用の注意:形式的な使用(トークン使用)は、真正な商業的使用とみなされない可能性があります。実質的かつ誠実な商業的使用を心がける必要があります。
6.2. 不使用期間中の対策
事業戦略の変更や財政的困難により、一時的に商標を使用できない状況に陥る可能性もあります。そのような場合、以下の対策を検討することが重要です:
- 使用再開計画の策定:不使用期間中であっても、将来的な使用再開の具体的な計画を立案し、文書化することが重要です。この計画には、使用再開の予定時期、市場調査、製品開発のタイムライン等を含めるべきです。
- 限定的な使用の継続: 可能であれば、限定的にでも商標の使用を継続することを検討します。例えば、小規模な販売や広告活動を維持することで、完全な不使用状態を避けることができます。
- ライセンス契約の活用:第三者へのライセンス供与を通じて商標の使用を継続することも一案です。ただし、To-Ricos事件の教訓を踏まえ、適切な品質管理を行うことが不可欠です。「裸のライセンス」とみなされないよう注意が必要です。
- 商標ポートフォリオの見直し:使用していない商標がある場合、そのポートフォリオ全体を見直し、必要に応じて商標の整理や譲渡を検討することも重要です。
- 法的助言の取得:不使用期間が長期化する可能性がある場合は、米国の商標弁護士に相談し、具体的な対策を講じることを推奨します。専門家の助言を得ることで、商標権喪失のリスクを最小限に抑えることができます。
- 代替戦略の検討: 商標の使用が困難な場合、新しい商標の開発や既存商標の修正など、代替戦略を検討することも一案です。ただし、これらの戦略には慎重な検討が必要です。
To-Ricos事件の判決は、米国における商標権維持の難しさを示すと同時に、適切な対策を講じることの重要性を強調しています。日本企業は、この判決を契機に自社の米国商標戦略を見直し、必要に応じて改善を図ることが賢明でしょう。
7. 結論
To-Ricos事件の判決は、米国商標法における「使用」の重要性を改めて浮き彫りにしました。3年間の不使用による法定推定の厳格な適用、財政的困難が正当な理由とならないこと、そして使用再開の意図の具体的な証明の必要性など、この判決は商標権者に対して重要な警鐘を鳴らしています。特に、米国で商標権を保有する日本企業にとっては、定期的な使用状況の確認、使用証拠の保管、不使用期間中の具体的な対策の実施など、より積極的な商標管理が求められることを示唆しています。グローバル展開を進める日本企業は、この判決を契機に自社の米国商標戦略を見直し、必要に応じて改善を図ることが重要です。継続的な商標の使用と適切な管理が、米国市場での事業展開を支える重要な基盤となることを、本事件は明確に示しているのです。