ターミナルディスクレーマーの落とし穴:SIPCO v. JASCO事件から学ぶ教訓

ターミナルディスクレーマーの落とし穴:SIPCO v. JASCO事件から学ぶ教訓

特許法の世界では、一見些細なミスが深刻な結果をもたらすことがあります。2024年5月、米国オクラホマ西部地区連邦地方裁判所で下されたSIPCO v. JASCO事件の判決は、ターミナルディスクレーマーにおける小さな誤りが、特許権者にとって致命的な結果をもたらす可能性があることを鮮明に示しました。

ターミナルディスクレーマーの概要

ターミナルディスクレーマー(terminal disclaimer)とは、特許出願人または特許権者が、自身の特許の権利期間を別の特許の権利期間に合わせて短縮することを宣言する文書です。主に、非法定型ダブルパテンティング(obviousness-type double patenting)の拒絶理由を克服するために用いられます。

ターミナルディスクレーマーには、特許期間の短縮と共通所有の約束という二つの重要な要素が含まれます。法的には、米国特許法第253条および特許商標庁(USPTO)の規則に基づいており、一度提出されると通常は取り消すことができず、特許の一部として扱われます。

このように特許システムにおいて、ターミナルディスクレーマーは重要な公示機能を果たし、権利範囲の明確化、透明性の確保、予測可能性の向上、公正な競争の促進といった機能を通じて、特許制度の信頼性と効果的な運用を支えています。

SIPCO v. JASCO事件の詳細

今回注目するSIPCO v. JASCO事件は、ターミナルディスクレーマーの誤りが特許の権利行使に与える影響を明確に示した重要な判例です。この事件の詳細を見ていくことで、特許実務における正確性の重要性が浮き彫りになります。

’304特許とその出願経緯

SIPCO社は、米国特許第8,335,304号(以下、’304特許)の所有者でした。この特許は2008年7月に出願され、2012年12月18日に発行されました。

USPTOの審査官による通知

2010年10月20日、USPTOの審査官は’304特許の出願に対して非法定型ダブルパテンティング(obviousness-type double patenting)を理由とする拒絶通知を発行しました。この通知で、審査官は以下のように指摘しました:

  1. ’304特許出願の一部のクレームが、既存の特許のクレームと「特許性のある区別がない」と判断しました。
  2. この拒絶通知で引用された特許の中に、米国特許第6,430,267号(以下、’267特許)が含まれていました。
  3. 審査官は、この問題を解決する方法としてターミナルディスクレーマーの提出を提案しました。

SIPCO社の実際の特許所有状況

ここで重要なのは、SIPCO社の実際の特許所有状況です:

  1. SIPCO社は’267特許を所有していませんでした。’267特許は、実際にはNokia Networks Oyという別の会社が所有していました。
  2. SIPCO社が実際に所有していたのは、米国特許第6,430,268号(以下、’268特許)でした。
  3. ’268特許は’304特許出願と同じ特許ファミリーに属し、その主題も関連していました。

誤りの発生

この状況で、重大な誤りが発生しました:

  1. USPTOの審査官が発行した拒絶通知において、’267特許が誤って引用されました。これは恐らく単純な転記ミスだったと考えられます。
  2. SIPCO社は、この誤りに気付かず、あるいは十分な確認をせずに、審査官の通知に基づいて対応しました。

SIPCO社の対応

2011年3月21日、SIPCO社は拒絶通知に対する応答を提出しました:

  1. SIPCO社は、’267特許を含む複数の特許について「現在の出願人によって共通して所有されている」と述べました。
  2. 同日、SIPCO社は’267特許に対するターミナルディスクレーマーを提出しました。
  3. このターミナルディスクレーマーには、「’304特許出願から付与される特許は、それと’267特許が共通して所有される期間中のみ執行可能である」という内容が含まれていました。

この対応により、SIPCO社は自社が所有していない特許(’267特許)に対してターミナルディスクレーマーを提出するという重大な誤りを犯しました。この誤りは、後に’304特許の執行可能性に致命的な影響を与えることになります。

JASCOの却下申立て

SIPCO社がJASCO社を’304特許の侵害で訴えた際、JASCO社はこの誤ったターミナルディスクレーマーを根拠に、訴えの却下を申し立てました。JASCO社の主張は以下の通りでした:

  1. ターミナルディスクレーマーの文言上、’304特許は’267特許と共通して所有される期間中のみ執行可能である。
  2. SIPCO社は’267特許を所有していない、かつ一度も所有したことがない。
  3. したがって、’304特許は発行時から権利行使不能である。

SIPCOの主張

SIPCO社は、以下のような反論を展開しました:

  1. ’267特許と’304特許の間には実際のダブルパテンティングの問題が存在しないため、ターミナルディスクレーマーは法的に無効である。
  2. ’267特許と’268特許の番号の違いは単なる転記ミスであり、特許ファイルを見れば誰にでもわかる明白な誤りである。
  3. この誤りによって第三者が不利益を被ることはない。

裁判所の判断と理由付け

裁判所は、JASCO社の主張を認め、SIPCO社の訴えを却下しました。裁判所の判断の要点は以下の通りです:

  1. ターミナルディスクレーマーは、発行された特許の一部として扱われ、公示機能を果たす。
  2. 特許制度の根幹である公示機能を維持するため、特許権者はUSPTOに対して行った約束(ターミナルディスクレーマーの内容)に拘束される
  3. たとえ誤りが明白であっても、公示の観点から、ターミナルディスクレーマーの文言通りの解釈が必要である。

裁判所は、この判断が厳しい結果をもたらすことを認識しつつも、特許制度の公示機能の重要性を強調しました。この判決は、特許実務における正確性の重要性を改めて浮き彫りにし、特許専門家に大きな衝撃を与えました。

SIPCO判決の影響

SIPCO v. JASCO事件の判決は、特許実務、特にターミナルディスクレーマーの取り扱いに関して深い影響を与えています。この判決から得られる教訓は、特許専門家にとって極めて重要です。

ターミナルディスクレーマーの正確性の重要性

SIPCO判決は、ターミナルディスクレーマーの正確性がいかに重要であるかを明確に示しました。

  1. 一字一句の重要性: たった1桁の数字の違いが、特許の執行可能性全体に影響を与える可能性があります。SIPCO社の場合、’267特許と’268特許の1桁の違いが致命的な結果をもたらしました。
  2. 公示機能の重視: 裁判所は、ターミナルディスクレーマーの公示機能を非常に重視しました。これは、第三者が特許ファイルを見て特許の状態を正確に理解できることの重要性を強調しています。
  3. 意図よりも文言: 裁判所は、特許権者の意図よりも、実際に提出された文書の文言を重視しました。これは、特許実務における文書作成の精度の重要性を再認識させるものです。

エラーがもたらす結果

SIPCO判決は、ターミナルディスクレーマーのエラーが引き起こす深刻な結果を明らかにしました。

  1. 特許の権利行使不能: 最も深刻な結果として、特許が完全に権利行使不能になる可能性があります。SIPCO社の場合、’304特許は発行時から権利行使不能とされました。
  2. 経済的損失: 特許の執行不能は、特許権者に多大な経済的損失をもたらします。研究開発投資や特許取得のための費用が無駄になるだけでなく、将来の収益機会も失われます。
  3. 訴訟の早期終結: SIPCO社の訴えが却下されたように、ターミナルディスクレーマーのエラーは特許侵害訴訟の早期終結をもたらす可能性があります。
  4. 競争上の不利益: 執行不能な特許は、競合他社に対する競争力を失わせる結果となります。

特許発行後の修正オプションの制限

また、SIPCO判決は、特許発行後のターミナルディスクレーマーの修正が極めて困難であることを再確認しました。

  1. USPTOの厳格な方針: USPTOは、特許発行後のターミナルディスクレーマーの取り下げや修正を原則として認めていません。これは、2017年8月15日に発効したMPEP(特許審査手続マニュアル)の改訂に基づいています。
  2. 限定的な修正オプション: USPTOは、エラーの説明と追加のターミナルディスクレーマーの提出を認めていますが、既存のターミナルディスクレーマーを取り下げることはできません。
  3. 再発行出願の限界: 再発行出願(reissue application)を通じてターミナルディスクレーマーを修正することも、一般的には認められていません。
  4. 司法救済の困難: SIPCO判決が示すように、裁判所もターミナルディスクレーマーの文言を厳格に解釈する傾向にあり、司法的救済を得ることも困難です。

SIPCO判決の影響は、特許実務全体に波及しています。特許専門家は、ターミナルディスクレーマーの作成と提出に際して、これまで以上に注意を払う必要があります。また、特許権者は、自社の特許ポートフォリオを見直し、潜在的なリスクを評価することが重要になっています。

ターミナルディスクレーマー実務の提案された変更点

また、この判例と平行して、USPTOは2024年5月10日付けで、ターミナルディスクレーマー実務に関する新たな規則変更案を提示しました。この提案は、現在の実務に大きな影響を与える可能性があります。

提案規則の概要

  1. 新たな宣言要件: 出願人は、ターミナルディスクレーマーを提出する際、特許が無効化されたクレームを持つ特許にターミナルディスクレーマーで直接または間接的に結びつけられていない場合にのみ、執行可能であると宣言する必要があります。
  2. 無効化の範囲: この規則は、USPTOまたは連邦裁判所によって新規性や自明性の欠如で無効化されたクレーム、あるいは法定放棄されたクレームに適用されます。
  3. 連鎖効果: 一連のターミナルディスクレーマーで結びつけられた特許ファミリー全体が、1つの特許の1つのクレームの無効化によって影響を受ける可能性があります。

潜在的な影響と懸念事項

  1. 特許ポートフォリオのリスク増大: 提案された規則は、特許ファミリー全体を一度に無効にするリスクを高めます。これは、特に多数の関連特許を持つ企業にとって大きな懸念事項です。
  2. イノベーションへの影響: このリスクの増大は、企業のイノベーションへの投資意欲を減退させる可能性があります。
  3. USPTOのエラーの影響: SIPCO事件のようなUSPTOの転記ミスが、提案された規則下ではさらに深刻な結果をもたらす可能性があります。
  4. 複雑性の増加: 新規則は、特許戦略の策定をより複雑にし、特許専門家の負担を増やす可能性があります。
  5. 訴訟リスクの変化: 特許侵害訴訟において、被告側が関連特許のクレームの無効化を積極的に追求する動機が高まる可能性があります。
  6. 修正オプションの不足: 提案された規則は、現行のターミナルディスクレーマー修正の制限に対処していないため、エラーの修正がさらに困難になる可能性があります。

これらの提案された変更点は、特許実務に大きな影響を与える可能性があります。特許権者、特許専門家、そして特許システムの利用者全体が、これらの変更の潜在的な影響を慎重に検討する必要があります。

提案規則に対するパブリックコメントは2024年7月9日まで受け付けられており、多くの利害関係者からの意見が期待されています。

ベストプラクティスと推奨事項

SIPCO v. JASCO事件の教訓と現在のUSPTOのポリシーを踏まえ、特許実務家や特許権者がターミナルディスクレーマー(terminal disclaimer)に関連するリスクを最小限に抑えるための重要なベストプラクティスと推奨事項を以下に示します。

ダブルパテンティング拒絶の慎重な検討

非法定型ダブルパテンティング(obviousness-type double patenting)拒絶を受けた場合、その内容を慎重に分析することが重要です。引用された先行特許のクレームと、現在の出願のクレームを詳細に比較し、実際にダブルパテンティングの問題が存在するか確認しましょう。

可能な場合は、クレーム補正によってダブルパテンティングの問題を解消することを検討すべきです。ターミナルディスクレーマーの提出が本当に必要かどうか、慎重に判断する必要があります。

SIPCO事件のように、USPTOの側にも転記ミスなどのエラーが生じる可能性があることを念頭に置き、引用された先行特許が本当に関連しているか、特許番号や所有者情報を注意深く確認することが重要です。

ターミナルディスクレーマー提出前の特許所有権の確認

ターミナルディスクレーマーを提出する前に、関連する全ての特許の所有権を徹底的に確認することが不可欠です。特許譲渡記録や社内の特許管理データベースを慎重にチェックしましょう。

特許番号を複数回チェックし、転記ミスがないことを確認することも重要です。可能であれば、ターミナルディスクレーマー文書から特許番号を直接コピーし、USPTOのオンライン特許データベースで検索して確認するとよいでしょう。

企業グループ内で特許が分散して所有されている場合、正確な所有関係を確認することが必要です。必要に応じて、グループ内での特許譲渡を検討することも一案です。

発行手数料支払前のターミナルディスクレーマーの再確認

特許発行手数料を支払う前に、提出されたターミナルディスクレーマーの内容を再度確認することが重要です。この段階で誤りを発見した場合、USPTOは特許発行前のターミナルディスクレーマーの取り下げを認めています。

ターミナルディスクレーマーの確認用チェックリストを作成し、使用することをお勧めします。特許番号、所有者情報、提出日など、重要な情報を系統的にチェックしましょう。

可能であれば、別の特許専門家にターミナルディスクレーマーの内容を再確認してもらうことも有効です。「ダブルチェック」システムを導入し、人的ミスのリスクを低減することが望ましいでしょう。

ターミナルディスクレーマーだけでなく、特許ファイル全体を確認し、一貫性があることを確認することも重要です。出願履歴、所有権情報、その他の関連文書との整合性を確認しましょう。

これらのベストプラクティスと推奨事項を実践することで、特許実務家や特許権者は、ターミナルディスクレーマーに関連するリスクを大幅に減少させることができます。しかし、完全にリスクを排除することは困難であり、常に細心の注意を払う必要があります。

特許戦略全体の中でターミナルディスクレーマーの影響を考慮し、長期的な視点で特許ポートフォリオを管理することが重要です。また、USPTOの政策変更や判例法の発展に常に注意を払い、必要に応じて戦略を調整することが求められます。

結論

SIPCO v. JASCO事件は、特許実務におけるターミナルディスクレーマーの重要性と、その誤りがもたらす深刻な結果を明確に示しました。この判決は、特許専門家に対して、ターミナルディスクレーマーの作成と提出における細心の注意の必要性を再認識させるとともに、特許システムの公示機能の重要性を強調しています。また、USPTOの提案する新規則の潜在的な影響も考慮すると、特許権者と実務家は、ターミナルディスクレーマーに関連するリスクを最小限に抑えるためのベストプラクティスを採用し、常に最新の法的動向に注意を払う必要があります。この事例から学ぶ教訓は、特許戦略の策定と実行において長期的かつ慎重なアプローチの重要性を浮き彫りにしており、特許制度の信頼性と効果的な運用を維持するための重要な指針となるでしょう。

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