1. はじめに
米国連邦巡回区控訴裁判所(United States Court of Appeals for the Federal Circuit、以下CAFC)は、DDR Holdings, LLC v. Priceline.com LLC事件において、仮出願から通常出願への移行時に削除された記載内容が、特許クレームの解釈を制限する効果を持ちうるという重要な判断を示しました。本判決は、仮出願と通常出願の間での記載内容の一貫性確保の重要性を改めて浮き彫りにしています。
仮出願(Provisional Application)は、米国特許商標庁(USPTO)に対する出願手続きの一つとして、その低コストと柔軟性から広く活用されています。しかし、この制度を効果的に活用するためには、後の通常出願(Non-Provisional Application)への移行時における記載内容の取り扱いに細心の注意を払う必要があります。
特に本判決では、仮出願において「商品またはサービス(goods or services)」と定義されていた用語が、通常出願では「商品(goods)」のみの記載に変更されたことが、クレーム解釈に決定的な影響を与えました。この判例は、仮出願の記載内容を通常出願に引き継ぐ際の戦略的な判断の重要性を示すとともに、参照による組込み(Incorporation by Reference)の効果にも一定の制限があることを明確にしています。
本稿では、DDR Holdings事件の詳細な分析を通じて、仮出願から通常出願への移行における実務上の留意点を解説するとともに、権利範囲を適切に確保するための具体的な対応策について検討します。
2. 米国仮出願の基本と利点
2.1 仮出願制度の概要と目的
米国特許制度における仮出願は、発明者が迅速かつ低コストで出願日を確保するための制度として広く活用されています。この制度では、通常出願と比較して要件が緩和されており、特許請求の範囲(Claims)の記載も必須ではありません。仮出願の本質的な目的は、発明の早期開示を促進しながら、発明者に対して更なる開発や市場調査のための時間的余裕を与えることにあります。
仮出願から1年以内に通常出願を行えば、仮出願の出願日を優先日として主張することができ、この優先日は特許期間(Patent Term)の計算に影響を与えないという特徴があります。さらに、継続出願(Continuation Application)の申請時に必要となる手数料の計算にも含まれないため、戦略的な出願管理が可能となります。
2.2 仮出願のメリットと活用シーン
仮出願の最大の特徴は、そのコストと柔軟性にあります。USPTOへの出願費用が通常出願と比較して大幅に低く抑えられており、費用面での心理的ハードルが低いことから、発明の初期段階でも気軽に出願することができます。また明細書の記載要件が比較的緩やかであることから、短期間での出願が可能となっています。
仮出願制度の活用シーンは多岐にわたります。半導体や通信技術など、特許競争が熾烈な分野では、一日でも早い出願日の確保が重要となるため、仮出願は強力な戦略的ツールとなります。また、学会発表や展示会での技術公開を控えた際の緊急避難的な権利化手段としても活用されています。
さらに、開発の進捗に応じて複数の仮出願を戦略的に組み合わせ、それらを統合して包括的な通常出願を行うことで、より強固な権利網を構築することも可能です。このような特徴から、仮出願は特に資金的制約の大きいスタートアップ企業や個人発明家、また研究開発の初期段階にある組織にとって有用な選択肢となっています。
2.3 優先権主張制度の概要
優先権主張制度は、最初の仮出願日から1年以内に通常出願を行うことで、仮出願の出願日に遡って権利を主張できる重要な制度です。この制度により、発明者は仮出願の段階で十分な開示を行いつつ、1年間の猶予期間中に発明をさらに改良・発展させることができます。
ただし、優先権主張が認められるためには、仮出願の明細書が通常出願でクレームする発明を適切にサポートしている必要があります。DDR Holdings事件が示すように、仮出願と通常出願の間で記載内容に重要な差異がある場合、後の権利解釈に予期せぬ影響を及ぼす可能性があります。そのため、仮出願の段階から、発明の本質的な特徴を十分に記載し、将来の権利範囲を見据えた戦略的な出願書類の作成が求められます。
3. DDR Holdings v. Priceline事件の解説
3.1 事件の概要
DDR Holdings, LLC v. Priceline.com LLC事件は、電子商取引システムに関する特許を巡る争いでした。DDR Holdings社(以下、DDR社)は、ホストウェブサイトのビジュアル要素と第三者販売者のコンテンツを組み合わせた複合ウェブページを生成する技術に関する米国特許第7,818,399号(以下、’399特許)を保有していました。
この特許に基づき、DDR社は2017年にPriceline.com社とBooking.com社(以下、まとめてPriceline社)に対して特許侵害訴訟を提起しました。Priceline社は当初、特許審判部(Patent Trial and Appeal Board、PTAB)に当事者系レビュー(Inter Partes Review、IPR)を申し立て、地裁での訴訟は一時中断されました。しかし、PTABが’399特許の有効性を支持したことから、地裁での手続きが再開されることとなりました。
3.2 仮出願と通常出願の記載の違い
本件で特に注目すべきは、「販売者(merchants)」という用語の解釈を巡る重要な相違点です。仮出願では、販売者について「商品またはサービスの生産者、製造者、および特定の販売者」(Merchants, defined as producers, manufacturers, and select distributors of products or services)と定義されていました。これに対し、通常出願では「販売者は、アウトソースプロバイダーを通じて販売される商品の生産者、販売者、または再販売者である」(Merchants are the producers, distributors, or resellers of the goods to be sold through the outsource provider)と記載され、「サービス」への言及が意図的に削除されていました。
さらに、訴訟では「商取引対象(commerce object)」という用語の解釈も争点となりました。DDR社は、この用語が商品とサービスの両方を含むと主張しましたが、地裁は’399特許の明細書が「商品(goods)」と「製品(product)」を同義語として扱い、これらを「サービス(services)」と区別していると判断しました。
3.3 CAFCによる判断とその根拠
CAFCは、仮出願から通常出願への移行過程における記載内容の変更を極めて重要視しました。この事件の核心は、仮出願における「販売者(merchants)」の定義(「商品またはサービスの生産者、製造者、および特定の販売者」)と、通常出願における定義(「アウトソースプロバイダーを通じて販売される商品の生産者、販売者、または再販売者」)との間の相違点にありました。裁判所は、熟練した当業者(skilled artisan)が、この変更を出願人が意図した用語の意味の「進化」(evolution)として理解するであろうと判断しました。特に「サービス」という用語の意図的な削除は、その用語を権利範囲から除外する意図を示すものとして解釈されました。
特に重要なのは、CAFCが参照による組込み(incorporation by reference)の効果に関する重要な判断を示したことです。DDR社は、仮出願が参照により組み込まれているため、仮出願における広い定義が依然として有効であると主張しましたが、CAFCはこの主張を明確に退けました。裁判所は、Finjan LLC v. ESET, LLC事件を引用しながら、重要な法理を示しました。すなわち、ある特許が参照により他の特許を組み込んでいる場合、ホスト特許(この場合は通常出願)の開示内容が、参照により組み込まれた内容のクレーム解釈にどのような影響を与えるかを判断する上での文脈を提供するというものです。CAFCによれば、当業者が仮出願の内容を通常出願の明細書の文脈で読む場合、「サービス」の提供に関する記載が仮出願には含まれていたにもかかわらず、最終的な明細書からは意図的に削除されたと理解するはずだと判断しました。この削除は「明白かつ曖昧さのない(conspicuous and unambiguous)」ものであり、特許権者が「販売者」の定義からサービスを除外する意図を持っていたことを示すものとして解釈されたのです。
この判断は、特許実務家にとって重要な示唆を含んでいます。すなわち、通常出願の段階で意図的に削除された用語や記載は、たとえ仮出願が参照により組み込まれていたとしても、クレーム解釈を制限する効果を持ち得るということです。
4. クレーム解釈における重要な示唆
4.1 通常出願での記載変更の影響
DDR Holdings事件は、通常出願における記載内容の変更が後のクレーム解釈に重大な影響を及ぼすことを明確に示しました。特許実務において、仮出願から通常出願への移行時に記載内容を変更することは一般的な実務です。しかし、本判決は、そのような変更が単なる編集上の修正ではなく、クレーム解釈における重要な証拠として扱われる可能性があることを警告しています。
特に重要なのは、特許審判部での審査段階と裁判所での訴訟段階では、クレーム解釈の基準が異なるという点です。特許審判部は最も広い合理的解釈(Broadest Reasonable Interpretation、BRI)基準を適用しますが、裁判所はフィリップス基準(Phillips standard)を用います。DDR Holdings事件では、特許審判部が「販売者」という用語を広く解釈したにもかかわらず、裁判所はより限定的な解釈を採用しました。
4.2 参照による組込みの限界
本判決は、参照による組込みの効果に関する重要な制限を示しました。特許実務では、仮出願の内容を参照により組み込むことで、通常出願における開示要件を満たそうとすることがありますが、この戦略には限界があることが明らかになりました。CAFCは、Finjan LLC v. ESET, LLC事件を引用しながら、ホスト特許(この場合は通常出願)の開示内容が、参照により組み込まれた内容の解釈に影響を与えると判示しました。
さらに裁判所は、「より制限的な用語を意図的に削除したにもかかわらず、参照による組込みによってその用語を復活させることはできない」(the use of a restrictive term in an earlier application does not reinstate that term in a later patent that purposely deletes the term, even if the earlier patent is incorporated by reference.)という重要な原則を示しました。これは、Modine Manufacturing Co. v. U.S. International Trade Commission事件でも確認された原則です。この判断は、参照による組込みを過度に信頼することの危険性を浮き彫りにしています。
4.3 裁判所による解釈基準
CAFCは、クレーム用語の解釈において、体系的なアプローチを採用しています。まず、クレーム文言自体を検討し、次に明細書の記載内容や審査履歴を参照します。そして、仮出願から通常出願への移行過程における変更を、当業者の視点から評価します。
特に注目すべきは、裁判所が意図的な削除(deliberate deletion)を重視する姿勢です。これは、MPHJ Technology Investments, LLC v. Ricoh Americas Corp.事件でも示された考え方であり、特許権者が意図的に記載を変更した場合、その変更は権利範囲の解釈に直接的な影響を与えると判断されています。このような解釈基準は、特許実務家に対して、通常出願の作成時により慎重な検討を求めるものといえます。
5. 実務上の対応策
5.1 仮出願作成時の注意点
仮出願の作成においては、将来の権利範囲を見据えた包括的な開示が重要です。少なくとも1つのクレームを含めることで、発明の核となる要素を明確にすることが推奨されます。特に重要なのは、将来のビジネス展開を見据えた用語の選択と定義です。DDR Holdings事件が示すように、仮出願段階での用語の定義は、その後の権利解釈に重大な影響を及ぼす可能性があります。
また、競合他社の特許出願や技術動向を十分に調査し、将来的な権利行使の場面を想定した明細書の作成が求められます。発明の本質的な特徴を複数の実施例や図面を用いて十分に説明することで、後の通常出願における権利範囲の柔軟性を確保することができます。12ヶ月の優先期間中に発明の改良が行われた場合に備えて、基本概念を広く記載しておくことも重要な戦略となります。
5.2 通常出願への移行時のベストプラクティス
通常出願への移行時には、仮出願の記載内容を慎重に検討し、必要な修正を戦略的に行う必要があります。特に重要なのは、キーとなる用語の定義や範囲を変更する場合の影響評価です。仮出願からの記載変更は、それが意図的なものと解釈される可能性が高いため、変更の必要性と影響を十分に検討する必要があります。
発明の進歩や市場の変化に応じて記載内容を更新する場合でも、仮出願の開示内容との整合性を維持することが重要です。特に、用語の定義を狭める方向での変更は、DDR Holdings事件が示すように、後の権利範囲を予期せず制限する可能性があります。重要な用語については、必要に応じて複数の実施例や開示を維持しながら、柔軟な権利範囲の確保を目指すべきでしょう。
5.3 権利範囲確保のための戦略
効果的な権利範囲の確保には、複数の出願戦略を組み合わせることが有効です。たとえば、重要な発明については、複数の仮出願を段階的に行い、それらを基礎として包括的な通常出願を行うアプローチが考えられます。また、特許が許可された際には、継続出願(Continuation Application)や分割出願(Divisional Application)を活用して、異なる権利範囲や用語の使用を検討することも重要です。
さらに、クレーム用語の選択においては、明細書中で明示的に使用されていない用語であっても、明細書の開示内容によってサポートされる用語を使用することで、過度に狭い解釈を避けることができる場合があります。ただし、この戦略は、記載要件(Description Requirement)との関係で慎重な判断が必要です。また、特許ファミリーを可能な限り維持することで、市場や技術の変化に応じた権利範囲の調整が可能となります。
6. 結論
本判決が示すように、仮出願から通常出願への移行時における記載内容の変更は、後の権利解釈に重大な影響を及ぼす可能性があります。特に、参照による組込みの効果には限界があり、通常出願段階で意図的に削除された記載内容は、たとえ仮出願が参照により組み込まれていたとしても、クレーム解釈を制限する効果を持ち得ることが明確になりました。このため、特許実務家は仮出願の作成段階から将来の権利範囲を見据えた包括的な開示を心がけ、通常出願への移行時には記載内容の変更が権利解釈に与える影響を慎重に検討した上で、複数の出願戦略を組み合わせることで効果的な権利範囲の確保を目指すべきといえます。この事件から得られる教訓は、特許戦略の立案において、仮出願制度の効果的な活用と、記載内容の一貫性確保の重要性を改めて示唆するものです。