USPTO長官Vidal氏が退任を発表:知財実務への影響と今後の展望

USPTO長官Vidal氏が退任を発表:知財実務への影響と今後の展望

1. はじめに

米国特許商標庁(United States Patent and Trademark Office、USPTO)のKathi Vidal長官が、2024年12月中旬をもって退任することを発表しました。この発表は、トランプ氏の大統領選挙勝利を受けてのもので、次期政権への移行期間における重要な動きとして注目を集めています。

Vidal長官は、バイデン政権下で2022年に就任して以来、42億ドルの予算と13,500人以上の職員を擁する組織のトップとして、包括的なイノベーション戦略の推進に尽力してきました。特に、知的財産権の保護強化と、イノベーションを通じた米国の国際競争力向上に焦点を当てた施策を展開してきたことで知られています。

後任には現副長官のDerrick Brent氏が就任する予定です。Brent氏は機械工学のバックグラウンドを持ち、2011年の米国発明法(America Invents Act、AIA)の制定にも深く関わった経験を有しています。この人事異動は、USPTOの運営方針や実務に大きな影響を与える可能性があり、日本の知財実務家にとっても重要な関心事となっています。

本稿では、Vidal長官の退任に伴う移行期の動向と、これまでの成果や課題を整理するとともに、今後の知財実務への影響について詳しく解説していきます。特に、現在進行中の規則改正案や審査実務への影響など、実務家が注目すべきポイントを中心に取り上げていきたいと思います。

2. 新たな執行部への移行

2.1 退任の背景と時期

Vidal長官の退任は、2024年の大統領選挙においてトランプ氏の勝利が確実となったことを受けての発表となりました。バイデン政権下で重要な役割を果たしてきたVidal長官は、LinkedInへの投稿で「私たちは米国のイノベーション、包括的な資本主義、そしてグローバルな競争力を推進するというミッションの下で団結してきました」と述べ、在任中の成果を振り返っています。退任後は民間セクターに戻る意向を表明しており、これまでの経験を活かして個人や企業と直接協力していく姿勢を示しています。

2.2 後任者Brent氏のプロフィール

次期長官代行として指名されたDerrick Brent氏は、多彩なキャリアを持つ知財専門家です。オハイオ州立大学で機械工学の学士号を取得後、General Motorsのパワートレイン部門でエンジニアとして実務経験を積みました。その後、ノースウェスタン大学法科大学校(Northwestern University School of Law)で法学博士号を取得し、法曹界に転身しています。

特筆すべきは、Barbara Boxer上院議員の首席法律顧問として6年間務めた経験です。この間、知的財産や憲法問題を含む幅広い法律問題に携わり、特に2011年の米国発明法の制定において重要な役割を果たしました。また、司法省公民権局(U.S. Department of Justice, Civil Rights Division)での上級審判官としての経験も有しています。

2.3 移行期間における実務対応

移行期間中の実務対応について、USPTO は継続性と安定性の確保を最優先課題としています。Vidal長官は職員向けの書簡で「バイデン大統領が述べたように、米国民は平和で秩序ある移行を受ける権利があります」と強調し、次期政権チームとの協力体制の重要性を説いています。

特許・商標の審査業務については、現行の実務運営を維持しながら、スムーズな移行を図ることが予定されています。特に注目すべきは、Brent氏が正式な新長官が任命されるまでの間、現在進行中の重要な施策や規則改正案についても、慎重に検討を進めていく姿勢を示していることです。

また、USPTOの基本的な運営方針である「イノベーターと創造者のためのミッション遂行」は、政権移行期間中も継続されることが確認されています。この方針の下、特許審査の品質維持や審査期間の適正化など、実務上の重要課題への取り組みも継続される見通しです。

3. Vidal長官の在任中の主要な成果と課題

3.1 組織運営における成果

Vidal長官の在任期間中、USPTOは42億ドルという大規模な予算を効率的に運営し、50州とプエルトリコに及ぶ13,500人以上の職員を統括してきました。この大規模な組織運営において、特に注目すべき成果が見られました。

最も重要な成果の一つが、新たな公共エンゲージメント室(Office of Public Engagement)の設立です。この部署は、イノベーターと特許庁との橋渡し役として機能し、特にこれまで特許システムへのアクセスが限られていた個人発明家や中小企業への支援を強化することに成功しました。

包括的イノベーション戦略の推進も特筆すべき点です。特に、商標部門では組合との新たな団体交渉協定を締結し、700人以上の審査官や審判官の労働環境改善を実現しました。この取り組みは、政府機関における「最もインスパイアリングな職場」としての評価にもつながっています。

3.2 直面した課題

一方で、Vidal長官の在任中にはいくつかの重要な課題も浮き彫りとなりました。最も深刻な問題の一つが、特許審査待ち期間(patent backlog)の増加です。USPTOが最近公表した手数料改定案(Notice of Proposed Rulemaking、NPRM)によると、この審査待ち案件数は2026年度までに82万200件まで増加すると予測されています。

職場環境の面でも課題が見られました。かつて連邦政府機関の「働きやすい職場」ランキングで首位に立っていたUSPTOですが、現在は236位まで順位を下げています。この低下傾向は2013年以降続いており、組織の政治化や、キャリア職員の昇進機会の減少が要因として指摘されています。

特許審判部(Patent Trial and Appeal Board、PTAB)に関する議論も重要な課題となりました。Vidal長官は在任中、PTABの運営に関する多くの規則改正案を提案しましたが、その中には非常に議論を呼ぶものも含まれていました。特に、特許権者にとって厳しいとされるPTABの判断基準について、様々な意見が寄せられています。

このように、Vidal長官の在任期間は、組織の近代化と効率化に向けた積極的な取り組みが行われる一方で、従来からの課題解決にも腐心した時期であったと評価できます。特に、審査待ち期間の長期化や職場環境の改善といった課題は、次期執行部への重要な引継ぎ事項となることが予想されます。

4. 知財実務家が注目すべきポイント

4.1 進行中の規則改正への影響

政権移行期において最も注目すべきは、Vidal長官の下で進められてきた様々な規則改正案の行方です。特に議論を呼んでいた改正案の多くは、今回の退任発表により実現が困難になる可能性が高まっています

知財実務家にとって特に重要なのは、現在パブリックコメントを募集中の規則改正案の取り扱いです。これらの案件については、新執行部の方針が定まるまでは慎重な対応が必要となるでしょう。出願戦略を検討する際には、現行規則を基本としながら、将来の政策変更の可能性も考慮に入れた柔軟な対応が求められます。

4.2 審査実務への影響

審査実務については、特許審査待ち期間の増加傾向が大きな懸念材料となっています。2026年度までに審査待ち案件が82万件を超えると予測される中、日本の出願人にとっても、この審査遅延への対策が重要な課題となってきます。

審査の質に関しては、Vidal長官が推進してきた多様性とイノベーションを重視する方針が、実務レベルでどの程度維持されるかが注目されます。特に、人工知能(AI)関連発明や新興技術分野における審査基準については、新執行部の方針次第で大きく変わる可能性があります。また、継続審査請求(Request for Continued Examination、RCE)の運用方針についても、今後の動向を注視する必要があります

4.3 PTAB実務への影響

PTAB実務については、Vidal長官の在任中、特許権者にとってより公平な制度を目指した改革が進められてきました。しかし、これらの改革の多くは完全には実現されていません。

特に注目すべきは、当事者系レビュー(Inter Partes Review、IPR)の審理開始決定の基準に関する運用です。Vidal長官は、IPRの審理開始判断においてより慎重なアプローチを採用し、特許権者の意見をより重視する方向性を示してきました。この方針が新執行部の下でどのように変化するかは、特許権者にとって重要な関心事となります。

また、PTABの審判官の行動規範や、審決の一貫性確保に向けた取り組みについても、新執行部の方針が待たれるところです。特に、並行して係属する地裁訴訟との関係や、複数回の審判請求(serial petitions)に対する対応方針については、実務に大きな影響を与える可能性があります。

このような状況下で、日本の知財実務家は、現行の実務を維持しつつも、政策変更の可能性を見据えた戦略的なアプローチを検討する必要があります。特に、重要な案件については、複数のシナリオを想定した対応策を準備しておくことが賢明といえるでしょう。

5. 結論

Vidal長官の退任は、USPTOの運営方針や実務に大きな転換点をもたらす可能性があります。在任中、同長官は包括的なイノベーション戦略の推進や公共エンゲージメント室の設立など、重要な成果を残す一方で、特許審査待ち期間の増加や職場環境の課題など、未解決の問題も残されています。Brent氏を中心とする新執行部の下で、これらの課題にどのように取り組んでいくのか、また、現在進行中の規則改正案や審査実務、PTAB運営がどのように変化していくのかについて、日本の知財実務家は慎重に見守りながら、柔軟な対応戦略を準備していく必要があるでしょう。

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