1. はじめに
商標権の保護と公正な競争の促進は、ビジネス環境において常に微妙なバランスを要する課題です。この課題に関して最近、アメリカの商標審判部(TTAB)で注目すべき判断が下されました。それは、食品デリバリー大手のDoorDashと大麻製品のデリバリーサービスを計画するDoor Dabzとの間の商標紛争です。
この事件は、「商標いじめ」(trademark bullying)という概念を巡る議論に一石を投じました。大企業による商標権の積極的な行使が、中小企業や新規参入者の事業展開を不当に妨げているのではないか。そんな懸念が、法的な抗弁として認められるべきかが問われたのです。
本稿では、この事件の経緯とTTABの判断を詳しく解説します。さらに、この判断が今後の商標実務にどのような影響を与えるか、商標権者と新規事業者の双方の視点から考察します。
2. 事件の背景
2.1. DoorDashの市場での地位
DoorDashは、2013年の創業以来、アメリカのフードデリバリー市場で急成長を遂げてきました。現在では、驚異的な65%もの市場シェアを誇る業界最大手となっています。スマートフォンアプリを通じて、レストランの料理を消費者の自宅やオフィスに届けるサービスは、特にコロナ禍で一気に普及しました。
DoorDashの成功は、その使いやすいプラットフォームと効率的な配達システム、そして強力なブランド戦略に裏打ちされています。「DOORDASH」という商標は、今や多くのアメリカ人にとって、フードデリバリーサービスの代名詞とも言える存在になっているのです。
2.2. Door Dabzの商標出願
一方、新興企業のGreenerside Holdings社は、2021年6月17日、「Door Dabz」というロゴマークの商標登録出願を行いました。この商標は、「デルタ9テトラヒドロカンナビノール(THC)濃度が乾燥重量ベースで0.3%以下の医療用大麻の車による配達サービス」に使用する意図があると明記されています。
Door Dabzの商標出願は、当初はあまり注目を集めませんでした。しかし、2023年1月24日に官報に公告されると、状況は一変します。DoorDashが、この商標に対して異議を申し立てを行ったのです。
両者の事業内容は異なりますが、「Door」という単語を含む類似の商標を使用しようとしている点で、DoorDashは自社のブランド価値が脅かされると判断したようです。この異議申立てを皮切りに、両社の商標権を巡る攻防が始まりました。
3. 商標異議申立ての概要
3.1 混同のおそれ
DoorDashは、Door Dabzの商標登録に対して強い異議を唱えました。その主張の核心は、「混同のおそれ」(likelihood of confusion)にあります。つまり、Door Dabzの商標が登録されれば、消費者が両社のサービスを混同する可能性が高いという主張です。
DoorDashは、自社が所有する8つの「DOORDASH」関連商標を根拠に挙げ、これらの商標と「Door Dabz」の類似性を指摘しました。「混同のおそれ」の議論は、以下のポイントを中心に展開されました:
1. 商標の類似性:「Door」という共通要素の存在
2. サービスの関連性:両社とも配達サービスを提供
3. 取引チャネルの重複:スマートフォンアプリを主な販路とする点
4. 消費者の注意力:日常的に利用するサービスであるため、商標の細かな違いを見落とす可能性
これらの要素が相まって、消費者の誤認を招く恐れがあるとDoorDashは主張したのです。
一方、Door Dabz側は、両社のサービス内容が明確に異なることを強調。食品デリバリーと大麻製品デリバリーでは、ターゲット顧客や法規制も大きく異なるため、混同の可能性は低いと反論しました。
3.2 ブランドの希釈化
また、DoorDashが「Door Dabzのサービスに何らかの欠陥があった場合、その評判の低下がDoorDashにも及ぶ可能性がある」とも主張しており、これは、ブランドの希釈化(dilution)に関する懸念を示唆しています。
ブランドの希釈化(dilution)とは、有名な商標の識別力や評判が、他者による類似の商標使用によって弱められる現象を指します。これは通常の商標侵害とは異なり、消費者の混同を必ずしも伴わない点が特徴です。希釈化には、商標の独自性が失われる「曖昧化(Blurring)」 15 U.S.C. § 1125(c)(2)(B)と、好ましくない文脈での使用により評判が損なわれる「汚染(Tarnishment)」15 U.S.C. § 1125(c)(2)(C) の二種類があります。
ここまでの議論は、商標紛争でしばしば見られる「混同のおそれ」と「ブランドの希釈化」に関する典型的な争点を中心に展開されてきました。
しかし、事態は新たな展開を見せます。Door Dabz側が、DoorDashの行為を「商標いじめ」と主張し、これを抗弁として持ち出したのです。この「商標いじめ」という概念は、近年、特に大企業と中小企業の力関係において注目を集めている問題です。Door Dabzのこの主張により、商標審判部(TTAB)がこの現代的な問題にどのような判断を下すのか、多くの関係者の注目を集めることとなりました。
4. 「商標いじめ」の試み
4.1. 「商標いじめ」の定義
「商標いじめ」(trademark bullying)という言葉を聞いたことがあるでしょうか。これは、大企業が自社の商標権を過度に主張し、中小企業や新規参入者を不当に圧迫する行為を指します。法律上の明確な定義はありませんが、一般的に以下の要素を含むと考えられています:
- 商標権の範囲を不当に拡大解釈すること
- 対象となる行為に比べて過剰な要求をすること
- 大企業が、比較的小規模な事業者を標的にすること
- 実際の混同のおそれが低いにもかかわらず、権利を主張すること
この概念は、商標法の本来の目的である「消費者の混同防止」と「公正な競争の促進」のバランスを崩すものとして、近年注目を集めています。
4.2. Greenerside社の主張
Door Dabzの商標を出願したGreenerside社は、DoorDashの異議申立てに対し、「商標いじめ」を理由とする抗弁を試みました。
その主張は以下のようなものでした:
- DoorDashは「商標いじめ」を長年にわたって習慣的に行っている
- DoorDashはTTAB手続きの最多提起者の一つである
- 過去に「疑わしい、弱い、または誇張された」根拠で多数の出願に異議を唱えてきた
- Greenerside社は小規模事業者であり、DoorDashの訴訟戦術により不当な損害を被っている
- DoorDashの行為は「商標の不正使用」に当たり、「不正行為」(unclean hands)の抗弁の根拠となる
Greenerside社は、これらの主張を通じて、DoorDashの異議申立ては商標権の正当な行使の範囲を超えていると訴えました。小規模な新規参入者の権利を守り、イノベーションを促進するためにも、このような「いじめ」は認められるべきではないというのが、Greenerside社の立場でした。
この抗弁は、大企業と中小企業の力関係、そして商標権の適切な行使範囲について、重要な問いを投げかけるものでした。このような近年注目されている商標いじめに関して、TTABがどう判断するのか注目が集まっていました。
5. 商標審判部(TTAB)の判断
5.1. 「不正行為」の抗弁の却下
TTABは、Greenerside社が主張した「商標いじめ」を理由とする「不正行為」の抗弁を却下しました。この判断は、商標法の実務に大きな影響を与える可能性のある先例的決定(precedential decision)として位置付けられています。
TTABは、Greenerside社に対し、この抗弁を再度主張する機会も与えませんでした。つまり、「商標いじめ」を理由とする抗弁は、少なくともこの事件においては完全に退けられたのです。
5.2. 判断の根拠
TTABがこの抗弁を却下した理由は、主に以下の点にあります:
1. 法的根拠の欠如:商標法(ランハム法)には、「商標いじめ」に関する明示的または黙示的な規定はない。
2. 権利行使の正当性:商標法は、商標権者が自己の権利を保護し、混同を招く可能性のある商標の登録を阻止する権利を明確に認めている。
3. 主張の不十分さ:Greenerside社の主張は、具体的な事実に基づくものではなく、単なる結論的な陳述に過ぎないとTTABは判断。
4. 先例との整合性:過去のTTAB判決でも、「過剰な権利行使」を理由とする抗弁は認められていない。
5. 証明の困難さ:「商標いじめ」の存在を客観的に証明することは極めて困難。
TTABは特に、「DoorDashの過去の異議申立て活動を『いじめ』と特徴づけたり、『疑わしい、弱い、または誇張された』主張をしたと述べたりするだけでは、不正行為の抗弁を支持するのに十分な事実の主張とはならない」( Applicant’s mere characterization of Opposer’s prior opposition activity as “bullying,” or assertion of “dubious, weak or exaggerated” claims, does not constitute a sufficient allegation of facts to support an unclean hands defense. )と明確に述べています。
この判断は、商標権者の権利行使の範囲を広く認める一方で、「商標いじめ」を理由とする抗弁の有効性に疑問を投げかけるものとなりました。TTABは、商標権者が自己の権利を守るために行動することは、それ自体では不当なものではないという立場を改めて確認したのです。
この決定は、大企業と中小企業の間の力関係、そして商標権の適切な行使範囲について、新たな議論を巻き起こす可能性を秘めています。
6. 法的分析
6.1. 商標法と権利行使
商標法の主な目的は、消費者の混同を防ぎ、事業者の信用を保護することにあります。この観点から、DoorDashの行動は一見すると正当な権利行使に見えます。しかし、ここで重要なのは、権利行使の範囲と程度のバランスです。
確かに、商標権者には自社の商標を守る権利があります。しかし、その権利行使が過度に広範囲に及ぶと、かえって市場の競争を阻害し、イノベーションを抑制する可能性があるのです。TTABの今回の判断は、この微妙なバランスについて、従来の商標権者寄りの立場を再確認したと言えるでしょう。
6.2. 過去のTTAB判決との整合性
今回の判断は、過去のTTAB判決と整合性を保っています。例えば、2002年のTime Warner Entertainment Co. v. Jones事件(Time Warner Entm’t Co. v. Jones, Opp. No. 91112409, 2002 TTAB LEXIS 462, at *2 n.4 (TTAB 2002))では、「過剰な権利行使」を理由とする抗弁が退けられています。TTABは当時、「すべての商標権者は自己の商標を保護し、混同を招く可能性のある商標の登録を阻止する権利を有する」と述べました。
また、1992年のAvia Group International, Inc. v. Faraut事件(Avia Grp. Int’l, Inc. v. Faraut, Can. No. 92019382, 1992 TTAB LEXIS 62, at 5-6 (TTAB 1992))でも、類似の抗弁が認められませんでした。ここでもTTABは、「商標権者が自己の登録商標の権利を保護し、混同を招く可能性のある商標の登録を阻止しようとすることには何ら問題がない」と判断しています。
今回のDoorDash対Door Dabz事件の判断は、これらの先例を踏襲し、さらに強化したものと言えるでしょう。
6.3. 「商標いじめ」抗弁の適切な主張方法
では、「商標いじめ」のような状況に直面した場合、どのように抗弁を構築すべきでしょうか。TTABの判断を踏まえると、以下のポイントが重要になります:
1. 具体的な事実に基づく主張:単なる「いじめ」という表現や結論的な陳述ではなく、具体的な行為や事実を示す必要がある。
2. 商標の不正使用の立証:単なる過剰な権利行使ではなく、商標法の目的に反する形で商標が使用されていることを示すことが求められる。
3. 反トラスト法違反の可能性:商標権の行使が市場競争を不当に制限している場合、反トラスト法の観点からの主張が有効な可能性もある。
4. 手続きの濫用:異議申立てそのものが手続きの濫用に当たるかどうかを検討することも一案。
5. 衡平法上の考慮:商標権者の行為が信義則に反し、著しく不公平な結果をもたらす場合、衡平法の原則(principles of equity)に基づく主張も考えられる。
ただし、これらの主張を行う際も、単なる推測や憶測ではなく、具体的な証拠に基づく必要があります。TTABは、明確な事実関係の提示を求めているのです。
7. 本判断の影響
7.1. 商標権者への影響
TTABの今回の判断は、商標権者、特に確立されたブランドを持つ大企業にとって、朗報と言えるでしょう。この決定により、商標権者は自社の権利を積極的に守る正当性が改めて認められたことになります。
具体的には以下のような影響が考えられます:
1. 権利行使の自信:商標権者は、「商標いじめ」という批判を恐れることなく、より積極的に権利行使ができるようになるかもしれません。
2. 抗弁への対応:「商標いじめ」を理由とする抗弁に対して、より強固な反論が可能になります。
3. ブランド保護戦略の再確認:自社の商標ポートフォリオを見直し、潜在的な脅威に対してより積極的に対応する機会となるでしょう。
4. コスト削減の可能性:不当な抗弁に対応するための法的コストが減少する可能性があります。
ただし、この判断を過度に解釈し、あらゆる類似商標に対して無差別に異議を申し立てることは避けるべきです。そのため依然として、商標権の行使は合理的かつ適切な範囲内で行う必要があります。
7.2. 中小企業への影響
一方、この判断は中小企業や新規参入者にとっては、厳しい内容となりました。「商標いじめ」という概念を抗弁として使用することが難しくなったため、大企業からの権利主張に対してより脆弱な立場に置かれる可能性があります。
中小企業が直面する可能性のある課題には次のようなものがあります:
1. 商標選択の困難:既存の商標との類似性を極力避けるため、独創的な商標の考案がより重要になります。
2. 法的リスクの増大:大企業からの異議申立てに対して、効果的な防御手段が限られる可能性があります。
3. コストの増加:商標調査や法的アドバイスにより多くのリソースを割く必要が出てくるかもしれません。
4. 事業戦略の見直し:ブランディング戦略全体を再考する必要が生じる可能性があります。
しかし、すべてが悲観的な状況というわけではありません。この判断を受けて、中小企業は以下のような対策を講じることが重要になるでしょう:
- より慎重な商標選択と徹底した事前調査
- 独自性の高いブランド開発への注力
- 商標登録の早期取得
- 業界や市場に特化したニッチな商標戦略の採用
結局のところ、この判断は中小企業に対し、より戦略的かつ慎重な商標管理の必要性を示唆していると言えるでしょう。
8. 結論
DoorDash対Door Dabz事件におけるTTABの判断は、商標法の根幹にある権利保護と公正競争のバランスについて、重要な示唆を与えています。「商標いじめ」という概念を抗弁として認めなかった今回の決定は、確立されたブランドを持つ企業に有利に働く一方で、新規参入者や中小企業にとっては課題を投げかけるものとなりました。しかし、この判断は決して大企業の過度な権利行使を容認するものではありません。むしろ、すべての事業者に対して、より戦略的で慎重な商標管理の必要性を示唆しているのです。今後、商標権者は自社の権利を守りつつ、イノベーションを阻害しない範囲での適切な権利行使を心がける必要があるでしょう。同時に、新規参入者は、より独創的で差別化されたブランド戦略を構築することが求められます。この判断を契機に、商標法の目的である消費者保護と公正競争の促進に立ち返り、すべての市場参加者にとって健全な競争環境が整備されることを期待したいと思います。