はじめに
連邦巡回控訴裁判所(CAFC)は2025年3月21日、Maquet Cardiovascular LLC v. Abiomed Inc. 事件において、プロセキューション・ディスクレーマーの適用に関する重要な判断を下しました。本判決では、特許ファミリー間でのディスクレーマーの適用には「明確かつ明白な放棄」の厳格な基準が必要であり、関連特許間でも自動的に適用されるものではないことが明確にされました。CAFCは地方裁判所による過度に制限的なクレーム解釈を誤りとして非侵害判決を破棄し、特許権者の権利範囲を不当に制限しないよう警鐘を鳴らしています。この判決は、特許ポートフォリオ戦略の構築や特許訴訟における出願経過の利用方法に大きな影響を与えるものであり、特許実務家にとって必読の内容といえるでしょう。
プロセキューション・ディスクレーマーの「明確かつ明白な放棄」基準
プロセキューション・ディスクレーマー(prosecution disclaimer、出願経過禁反言)は、特許権者が特許審査過程において特許性を確保するために行った主張や補正によって、クレーム範囲が制限されるという法理です。しかし、この法理が適用されるためには、特許権者によるクレーム範囲の「明確かつ明白な放棄」(”clear and unmistakable disavowal”)が必要とされます。CAFCは今回の判決で、この基準の適用について重要な指針を示しました。
明確かつ明白な放棄の要件
Maquet事件では、地方裁判所が親特許と子特許の出願経過から自動的にディスクレーマーを適用した判断に対し、CAFCは次のような重要な指摘を行いました:
- プロセキューション・ディスクレーマーが適用されるためには厳格な基準が必要であり、クレーム範囲の明確かつ明白な放棄が示されなければならない
- 単に審査官の提案に「応じた」という事実だけでは、明確かつ明白な放棄とはみなせない
- クレーム範囲の放棄を示す明示的な証拠が必要であり、曖昧な対応では不十分である
本件では、地方裁判所がMaquetによる「審査官の提案の受け入れ」を自動的にディスクレーマーとみなした点を、CAFCは誤りであると判断しました。審査過程での単なる補正行為だけでは、必ずしも明確かつ明白な放棄には当たらないとの重要な判断を示したのです。
沈黙または曖昧な陳述の解釈
プロセキューション・ディスクレーマーの適用において、出願人の沈黙や曖昧な陳述がどのように解釈されるべきかも重要な論点です。CAFCは以下の点を明らかにしました:
- 特許許可通知に対する単なる沈黙は、ディスクレーマーとして不十分
- IPR(当事者系レビュー)手続き中の陳述も「明確かつ明白」基準を満たす必要がある
- Maquetの事例では、審査過程における沈黙や曖昧な陳述が「明確かつ明白な放棄」の基準を満たさないと判断
特に注目すべきは、審査官の見解に対する出願人の明示的な同意がない場合、単に審査官の提案を受け入れたという事実だけでは、明確かつ明白な放棄と認められないという点です。これは実務上、出願人が審査過程で行った対応の法的効果を評価する上で極めて重要な指針となります。
関連特許間でのディスクレーマーの適用
特許ファミリー内の複数の特許間で、ある特許の出願経過がどの程度他の特許のクレーム解釈に影響するかという点は、実務上非常に重要な問題です。CAFCはこの点についても明確な基準を示しました。
クレームの類似性要件
CAFCは、関連特許間でのディスクレーマー適用には前提条件があることを強調しました:
- 関連特許間でディスクレーマーを適用するには、クレームの十分な類似性が必要
- 親特許と子特許の間でクレーム文言に実質的な差異がある場合、親特許での制限が自動的に子特許に適用されるべきではない
- 本事件では、’783特許のクレームと親特許である’238特許のクレームには十分な類似性がなかったと判断
本件では、地方裁判所が’783特許の「ガイド機構」に関するクレーム用語に対し、親特許’238特許の出願経過からの制限を適用した点を誤りとしました。CAFCは、両特許のクレームの相違点を詳細に分析し、’238特許のクレームは「ガイド機構」を特に主張していなかったため、その出願経過による制限を’783特許に適用すべきではないと判断しました。具体的には、’783特許のクレーム1は「管腔を含むガイド機構」を明確に特定していたのに対し、’238特許のクレーム1は「カニューレ」と「ガイドワイヤー」について言及するものの「ガイド機構」という用語は使用していませんでした。CAFCは、このような実質的な用語の違いがある場合、親特許での審査官とのやり取りを子特許に自動的に適用することは不適切であると強調しました。さらに、’238特許の審査過程では、Maquetが審査官の提案を受け入れたものの、その制限をクレーム範囲から明確に放棄したという明示的な証拠がなかった点も重要視されました。このように、CAFCは単なる審査過程での補正行為だけでなく、出願人による明確な意思表示があったかどうかを慎重に評価すべきという原則を示したのです。
特許ファミリー内での制限の範囲
CAFCは、特許ファミリー内での出願経過の影響範囲について、以下のような重要な指針を示しました:
- 親特許での制限が子特許に及ぶ範囲には明確な限界がある
- 特許ファミリー間での出願経過の解釈は、クレームの類似性を基礎とすべき
- 特許権者の権利範囲を不当に制限しないよう、関連特許間のディスクレーマーの適用は慎重に行うべき
特に重要なのは、CAFCが特許ファミリー内での出願経過の利用が「特許権者の権利を不当に制限する」リスクを明確に認識し、その適用に慎重なアプローチを示した点です。CAFCは、特許権者が一つの特許出願で行った陳述や補正が、関連する全ての特許に自動的に適用されるという考え方を明確に否定しました。この判断は、特許ポートフォリオ戦略において極めて重要な意味を持ちます。特許権者は各特許を独立した権利として扱い、それぞれに固有の保護範囲を確保できることが再確認されたのです。実務上は、親特許での制限的な陳述が子特許に自動的に波及するという被疑侵害者側の主張に対する強力な反論根拠となり、特許ファミリー全体の価値を維持する上で重要な法的基盤を提供しています。また、この判断は特許出願戦略においても、各特許出願の独立性を意識した差別化戦略の重要性を示唆しています。
血管内ポンプシステムにおけるクレーム解釈の争点
本事件の技術的背景は、患者の循環系に血液ポンプを配置するための統合ガイド機構に関するものです。具体的なクレーム解釈の争点を理解することで、プロセキューション・ディスクレーマーの適用がどのように行われるべきかをより明確に把握できます。
ガイド機構に関する争点
‘783特許の「管腔を含むガイド機構」(guide mechanism comprising a lumen)の解釈については、次のような争点がありました:
- この用語について、地方裁判所は「ガイドワイヤー管腔はカニューレの遠位にない」という否定的限定を追加
- カニューレとの位置関係に関する制限が、親特許の出願経過から適切に導かれるかが争点に
- CAFCは、地方裁判所による不適切な限定を指摘し、親特許’238特許での審査官とのやり取りが’783特許のクレーム解釈に自動的に適用されるべきではないと判断
CAFCは、親特許の出願過程での審査官の提案に対するMaquetの「黙認」を、明確かつ明白な放棄とみなすべきではないと判断しました。このような審査過程での対応が自動的にディスクレーマーとなるわけではないという点は、特許出願戦略において非常に重要な示唆を含んでいます。
ガイドワイヤーに関する争点
「ガイドワイヤー」用語の解釈においても、同様の問題が生じました:
- 地方裁判所は「ガイドワイヤーはローターブレード間の自由空間を通過しない」という否定的限定を追加
- この制限は’783特許の「曾祖々父特許」(great-great-grandparent)である’728特許の出願経過に基づいていた
- CAFCは、クレーム文言が類似していても、’728特許の出願過程でMaquetが明確かつ明白な放棄を行ったとはいえないと判断
CAFCは、特許許可通知における審査官の見解に対する出願人の沈黙が、必ずしも明確かつ明白な放棄とはならないという重要な原則を改めて確認しました。これは特許ファミリー全体の保護範囲を考慮する際の重要な指針となります。
特許実務への影響と教訓
本判決は、特許出願および訴訟戦略に関して実務家に多くの重要な示唆を提供しています。
特許出願戦略への示唆
特許出願実務においては、以下の点に注意が必要です:
- 関連特許間での出願経過禁反言を避けるためには、各特許出願におけるクレーム文言の違いを意識的に設計すべき
- クレーム文言の一貫性と区別の重要性を理解し、特許ファミリー内でのクレーム差別化戦略を検討する
- 審査官とのコミュニケーションにおいては明確性を確保し、クレーム範囲の制限を意図しない場合はその旨を明示的に記録すべき
特に重要なのは、親特許の審査過程でのやり取りが子特許に自動的に影響するわけではないという認識を持ち、各特許出願を独立した権利として戦略的に構築する姿勢です。
特許訴訟における影響
訴訟実務においては、以下の点が重要になります:
- クレーム解釈における出願経過の適切な利用範囲を理解し、必要以上の制限を主張しない
- 関連特許の出願経過を利用する際には、クレームの類似性と明確かつ明白な放棄の証拠を慎重に評価する
- 非侵害判決の基礎となるクレーム解釈が適切かどうかを、プロセキューション・ディスクレーマーの正確な適用基準に基づいて検証する
本判決は、プロセキューション・ディスクレーマーを過度に広く適用することの危険性を示しており、特許権者と被疑侵害者の双方にとって重要な指針となります。
結論
Maquet v. Abiomed事件は、プロセキューション・ディスクレーマーの適用に「明確かつ明白な放棄」の厳格な基準が必要であることを再確認し、特許ファミリー間での出願経過の適用に重要な制限を示しました。CAFCは、地方裁判所が親特許や関連特許の出願経過から自動的に制限を導入したアプローチを明確に否定し、より証拠に基づいたアプローチを求めています。
特許実務家は、関連特許間での出願経過の影響を考慮した戦略的な特許出願・訴訟対応が求められます。親特許の審査過程での対応が子特許に自動的に影響するわけではないことを認識し、各特許を独立した権利として適切に保護するアプローチが重要です。また、クレーム解釈において出願経過を適切に利用するためには、「明確かつ明白な放棄」の証拠を慎重に評価する必要があります。
本判決は、特許ファミリー内での出願経過の適切な解釈に関する重要な先例として、今後の特許実務に大きな影響を与えることでしょう。