1. はじめに
米国の第9巡回区連邦控訴裁判所(United States Court of Appeals for the Ninth Circuit)は、2024年10月22日、競合他社の商標をキーワード広告(Keyword Advertising)として使用することは、それだけでは商標権侵害を構成しないとする注目すべき判決を下しました。Lerner & Rowe PC v. Brown Engstrand & Shely事件(以下、Lerner & Rowe事件)は、検索エンジン広告における商標の使用に関する重要な先例となりそうです。
この判決は、今日のデジタル広告市場において一般的に行われている「コンクエスティング(Conquesting)」と呼ばれる広告戦略の適法性を判断する上で重要な指針を示しています。コンクエスティングとは、競合他社の商標を検索キーワードとして購入し、その検索結果に自社の広告を表示させる手法です。
特に注目すべきは、裁判所が消費者の洗練度(Consumer Sophistication)に関する現代的な解釈を示したことです。インターネット上での商品・サービスの検索や購入が日常的になった現在、裁判所は消費者がGoogle等の検索エンジンの仕組みをよく理解していることを前提に判断を下しています。
本稿では、この画期的な判決の内容を詳しく解説するとともに、商標権者や広告主への実務的な影響、さらには今後のデジタル広告市場における商標の使用に関する法的枠組みについて考察していきます。
2. 判決の概要と重要ポイント
2.1 事案の背景
本件は、アリゾナ州を拠点とする大手人身傷害法律事務所であるLerner & Roweが、同じくアリゾナ州で活動する競合法律事務所Brown, Engstrand & Shely(The Accident Law Group, or ALGとして事業を展開。以下、ALG)を提訴した事件です。訴訟の発端は、ALGが2015年から2021年にかけて、Google広告において「Lerner & Rowe」という商標をキーワードとして購入していたことでした。
Lerner & Roweは、設立以来1億ドル以上を広告宣伝に投資し、19の事務所を展開する大規模事務所に成長していました。一方、ALGは比較的新しい事務所でしたが、「コンクエスティング」という広告戦略を採用し、ユーザーが「Lerner & Rowe」を検索した際に自社の広告が検索結果の上位に表示されるようにしていました。ただし、ALGの広告自体には「Lerner & Rowe」という文言は一切使用されていませんでした。
2.2 裁判所の判断
第9巡回区控訴裁判所は、商標権侵害の成立には「保護可能な商標権の所有」(a protectible ownership interest in the mark)と「消費者の混同を引き起こす可能性のある使用」(the defendant’s use of the mark is likely to cause consumer confusion)という2つの要件が必要であると指摘しました。本件では前者については争いがなかったため、裁判所は後者の要件、特に「初期的関心の混同」(Initial Interest Confusion)の有無に焦点を当てて判断を行いました。
注目すべきは、裁判所が実際の混同の証拠として示された236件の問い合わせについて、ALGの広告が表示された総回数109,322回と比較して、わずか0.216%の混同率であると指摘したことです。この数値は「デミニマス(de minimis:極めて軽微)」なものとして、商標権侵害を否定する重要な根拠となりました。
2.3 Use in Commerce(商業上の使用)に関する議論
本判決において特に注目すべき点は、Desai判事による補足意見(Concurring opinion)です。判事は、Network Automation, Inc. v. Advanced Systems Concepts, Inc.事件(以下、Network Automation事件)の判断を再検討する必要性を指摘しました。Network Automation事件では、キーワード広告における商標の使用が「商業上の使用(Use in Commerce)」に該当すると判断されていましたが、Desai判事は、この先例の妥当性に疑問を投げかけたのです。
Desai判事は、商標の「商業上の使用」とは、商標を商品やサービスに付すか、その広告において表示することを意味するとした上で、キーワード広告の購入者は商標を実際に表示も使用もしていないと指摘しました。この見解によれば、広告主による競合他社の商標のキーワード購入は、そもそも商標法上の「使用」には該当しない可能性があります。これは、今後の商標法実務に大きな影響を与える可能性のある指摘といえるでしょう。
3. 混同のおそれの判断基準
本判決では、キーワード広告における混同のおそれを判断する際の4つの主要な要素が示されました。これらの要素は、Network Automation事件で示された判断基準を踏襲しつつ、現代のデジタル環境に即した解釈を加えています。
3.1 商標の強さ
裁判所は、Lerner & Roweの商標が強い識別力を有することを認めました。この判断の根拠として、同事務所が1億ドル以上の広告投資を行い、10万件を超える顧客を獲得していることが挙げられています。強い商標は通常、より手厚い保護を受けることができます。なぜなら、検索エンジンの利用者が特徴的な商標を検索する場合、特定の商品やサービスを探している可能性が高く、混同が生じやすいと考えられるためです。しかし、本件では商標の強さは他の要素によって相殺される結果となりました。
3.2 実際の混同の証拠
裁判所は、実際の混同の証拠に関して、定量的な分析アプローチを採用しました。Lerner & Roweが提出した236件の問い合わせ記録は、一見すると相当数に見えますが、ALGの広告表示総数109,322回との比較において、わずか0.216%の混同率にすぎないと判断されました。また、広告のクリック率(Click-through Rate)が6.82%であったことも、消費者の混同が深刻でないことを示す証拠として考慮されました。
さらに、ALGが実施した専門家調査では、消費者の混同率が0%から3%の範囲にとどまることが示されました。裁判所は、これらの数値が「デミニマス(極めて軽微)」であるとして、この要素がALGに有利に働くと判断しました。
3.3 商品・役務と消費者の注意度
裁判所は、現代のインターネットユーザーの洗練度について、重要な見解を示しました。「Googleの検索エンジンは今や非常に普及しており、分別のある消費者はその仕組みやレイアウト、検索結果の表示方法をよく理解している」という判断は、デジタル時代における消費者像の大きな転換を示しています。
特に、ユーザーが特定の商標名(本件では「Lerner & Rowe」)を明確に入力して検索を行う場合、そのユーザーはより注意深く検索結果を吟味する傾向にあると裁判所は指摘しました。これは、20年前のインターネット黎明期とは異なる、現代の消費者の成熟度を反映した判断といえます。
3.4 広告の表示方法とコンテキスト
広告の表示方法に関して、裁判所は「Ad(広告)」という表示が十分に明確であり、オーガニック検索結果と広告を区別できると判断しました。さらに、検索結果ページには通常、商標権者であるLerner & Roweの結果も表示されており、これによって消費者の混同が解消されると判断されました。
裁判所はまた、広告が検索結果の上位に表示されることについても、現代の消費者は広告をスクロールして目的の検索結果を見つけることに慣れているとして、混同のおそれを否定しました。このような判断は、デジタル広告の一般的な利用実態を反映したものといえます。
4. 実務への影響
4.1 商標権者への影響
本判決は、商標権者にとって大きな警鐘となりました。裁判所は、キーワード広告に関する商標権侵害訴訟において、単なる推測や主観的な判断ではなく、具体的な混同の証拠を要求することを明確にしたのです。特に重要なのは、実際の混同の証拠が全体の取引数に占める割合で評価されるという点です。
商標権者は今後、訴訟提起を検討する際に、より慎重な事前調査が必要となるでしょう。特に、消費者の混同率が10%を下回る場合、裁判所はそれを「デミニマス」として扱う可能性が高いことを念頭に置く必要があります。これは、1-800 Contacts, Inc. v. Lens.com, Inc.事件でも示された基準であり、今回の判決でさらに強化されたといえます。
4.2 広告主への影響
広告主にとって、本判決は競合他社の商標をキーワードとして使用する際の明確な指針を示しています。特に重要なのは、以下の3つの条件を満たす場合、商標権侵害のリスクを大幅に低減できるという点です。第一に、広告文中に競合他社の商標を使用しないこと。第二に、広告が明確に「広告」として表示されること。第三に、自社のブランド名を明確に表示することです。
しかしながら、広告主は依然として慎重な対応が求められます。なぜなら、Desai判事の補足意見が示唆するように、「商業上の使用」に関する法理論が今後変更される可能性があるためです。また、各巡回区によって判断が異なる可能性もあることから、事業展開地域の判例法理を十分に確認する必要があります。
4.3 証拠収集と立証方法
本判決は、商標権侵害の立証における具体的な証拠収集の重要性を浮き彫りにしました。単なる広告表示回数やクリック数の記録だけでなく、実際の消費者の混同を示す証拠を体系的に収集・分析することが重要となります。
特に注目すべきは、裁判所が採用した「混同率(Confusion Rate)」の算出方法です。この方法では、混同が疑われる事例数を広告の総表示回数で割ることで、具体的な混同率を算出します。また、クリック率(Click-through Rate)も補完的な証拠として考慮されます。これらの定量的な指標は、今後の訴訟における重要な証拠となるでしょう。
また、専門家による消費者調査の重要性も高まっています。本件では、ALGが提出した専門家調査が重要な証拠として採用されました。今後は、訴訟の早い段階から専門家の関与を検討し、科学的な調査方法に基づく証拠収集を行うことが望ましいといえます。
5. 今後の展望
5.1 他の巡回区への影響
第9巡回区控訴裁判所による本判決は、他の巡回区にも大きな影響を与える可能性があります。特に、第2巡回区控訴裁判所で同時期に出された1-800 Contacts, Inc. v. JAND, Inc. DBA Warby Parker事件の判決とも整合性を持つことから、キーワード広告に関する統一的な判例法理が形成されつつあるといえます。
両判決が示した「競合他社の商標をキーワードとして購入すること自体は商標権侵害を構成しない」という判断は、今後、他の巡回区でも参照される可能性が高いでしょう。特に、デジタル広告市場が集中するカリフォルニア州やニューヨーク州を管轄する裁判所の判断が揃ったことは、実務上大きな意味を持ちます。
5.2 Use in Commerce 理論の再検討
本件におけるDesai判事の補足意見は、商標の「商業上の使用」理論の根本的な再検討を促すものでした。判事は、Network Automation事件の判断を全員法廷(en banc)で見直すべきだと提言しています。これは、デジタル時代における商標の「使用」概念を再定義する重要な機会となる可能性があります。
特に注目すべきは、メタタグ(Metatags)の使用と、キーワード広告の購入を区別する新しい視点です。判事は、メタタグが商標を実際にウェブサイトに「付す」行為であるのに対し、キーワード広告の購入はそのような「付加」行為を含まないと指摘しています。この理論的な区別は、今後の商標法理論の発展に大きな影響を与える可能性があります。
5.3 デジタル広告市場への影響
本判決は、デジタル広告市場に対して実務的な安定性をもたらすものといえます。特に、Googleなどの検索エンジン事業者にとって、広告プラットフォームの運営における法的リスクが明確になったことは重要です。広告主による競合他社の商標使用を制限する必要がないことが確認され、より柔軟な広告サービスの提供が可能となりました。
また、裁判所が現代の消費者をデジタル広告に精通した存在として捉えたことは、広告市場の今後の発展にも影響を与えるでしょう。消費者が広告とオーガニック検索結果を適切に区別できるという前提に立つことで、より革新的な広告手法の開発が促進される可能性があります。ただし、この判断は同時に、広告主に対してより明確な広告表示を求めることにもなり、業界の自主規制強化にもつながる可能性があります。
6. 結論
今回のLerner & Rowe事件における判決は、キーワード広告に関する商標法の適用範囲を大きく明確化した重要な事例です。この判決により、単なるキーワード広告の購入だけでは商標権侵害とならないことが明示され、広告主と商標権者の双方に新たな指針が示されました。また、裁判所が消費者のデジタルリテラシーを重視した点や、「商業上の使用」理論の再考を促す補足意見は、今後の商標法の実務や理論に大きな影響を与える可能性があります。この判決は、デジタル広告市場における競争のルールを明確化しつつ、広告主に対しても慎重な対応を求める内容となっています。