1. はじめに
米国特許商標庁(United States Patent and Trademark Office、USPTO)は2024年12月4日、ターミナルディスクレーマー(Terminal Disclaimer)に関する規則改正案を取り下げることを発表しました。この取り下げにより、特許実務家の間で大きな注目を集めていた制度変更の議論に、ひとまずの区切りがつくことになりました。
今回取り下げられた規則改正案は、2024年5月に公表されたもので、非法定型二重特許(Non-Statutory Double Patenting)の拒絶理由を解消するために提出されるターミナルディスクレーマーの要件を大幅に変更しようとするものでした。この改正案に対しては、300件を超えるパブリックコメントが寄せられ、特に複数の元USPTO長官からの批判的な意見が大きな影響を与えたとされています。
この規則改正案が成立していれば、ターミナルディスクレーマーによって結びついた特許群において、一つの特許のクレームが無効となった場合、関連する全ての特許の権利行使が制限されるという大きな影響が生じる可能性がありました。そのため、製薬業界をはじめとする多くの特許権者にとって、今回の取り下げは歓迎すべき決定となりました。
本稿では、規則改正案の内容と取り下げに至る経緯を整理するとともに、この決定が特許実務に与える影響と今後の対応について検討します。
2. 規則改正案の概要と取り下げの経緯
2.1 改正案の主な内容
2024年5月10日に公表された規則改正案では、ターミナルディスクレーマーの提出に際して新たな合意事項を追加することが提案されていました。この改正案の核心は、ターミナルディスクレーマーによって結びついた特許群の強制的な連動にありました。
具体的には、ターミナルディスクレーマーを提出する際、以下の状況において当該特許の権利行使が制限されるという合意を含めることが要求されていました。第一に、連邦裁判所やUSPTOによって新規性(35 U.S.C. 102)または自明性(35 U.S.C. 103)の理由で無効とされた請求項がある場合、第二に、新規性または自明性に基づく異議申立ての後に法定の権利放棄が提出された場合です。すなわち、関連する特許群のいずれか一つの特許で無効が確定すれば、ターミナルディスクレーマーで結ばれた他の特許も実質的に権利行使ができなくなる仕組みが提案されていたのです。
2.2 提案に対する反応と批判
この提案に対して、60日間のパブリックコメント期間中に300件を超える意見が寄せられました。特に注目を集めたのが、Andrei Iancu氏、David Kappos氏、Drew Hirshfeld氏といった元USPTO長官らによる批判的な意見書でした。彼らは規則改正案の即時撤回を求め、二つの重要な法的問題を指摘しました。
第一の批判は、USPTOの規則制定権限に関するものです。米国特許法(35 U.S.C.)第2条(b)(2)(A)は、USPTOに手続的な規則の制定権限を与えているものの、実体的な規則の制定権限は与えていないとされています。今回の改正案は実体的な権利内容に踏み込むものであり、USPTOの権限を逸脱しているという指摘でした。
第二の批判は、米国特許法第282条(a)との整合性に関するものです。同条は、特許の各クレームが他のクレームの有効性とは独立して推定されることを規定しています。しかし、改正案はこの原則に反し、一つのクレームの無効が関連特許全体の権利行使に影響を及ぼす仕組みを導入しようとしていました。
2.3 取り下げの理由と背景
USPTOは2024年12月4日の公示において、「リソースの制約(resource constraints)」を理由に規則改正案の取り下げを発表しました。しかし、この表向きの理由の背景には、改正案に対する強い反対意見の存在があったことは明らかです。
特に、2024年のLoper Bright Enterprises v. Raimondo事件における最高裁判決により、行政機関の規則制定に対する司法の判断基準が変更され、いわゆるシェブロン判決による行政判断への敬譲(Chevron deference)が覆されたことも、規則改正案の取り下げに影響を与えた可能性があります。
3. 実務への影響と今後の対応
3.1 現行実務の継続による安定性
今回の規則改正案の取り下げにより、特許実務家は従来通りのターミナルディスクレーマー実務を継続することができます。これは、特に複数の関連特許を保有する企業にとって、予測可能性と法的安定性を維持できるという点で重要な意味を持ちます。
現行制度では、非法定型二重特許の拒絶理由を解消する際、先行特許の存続期間満了日に合わせて後願特許の権利期間を調整するという単純な仕組みが維持されます。この仕組みは数十年にわたって実務で定着しており、特許権者と第三者の双方にとって理解しやすく、運用も安定しています。実務家は、個々の特許の有効性がそれぞれ独立して判断されるという基本原則に基づいて、引き続き戦略的なポートフォリオ構築を行うことができるでしょう。
3.2 特許ポートフォリオ管理への示唆
規則改正案の取り下げは、特許ポートフォリオ管理に関する重要な示唆を与えています。改正案に対する強い反対意見は、特に医薬品業界において、複数の関連特許を組み合わせたポートフォリオ戦略の重要性を改めて浮き彫りにしました。
一方で、今回の議論を通じて、ターミナルディスクレーマーによって結びついた特許群の管理に関する課題も明確になってきています。特許権者は、個々の特許の有効性を独立して守るための証拠や論理を準備しつつ、ポートフォリオ全体としての価値を最大化する戦略を検討する必要があります。また、複数の権利の関係性を第三者に対して明確に説明できる準備も重要となってくるでしょう。
3.3 今後予想される議論と検討課題
USPTOは、今回の取り下げに際して「リソースの制約」を理由として挙げていますが、この問題に関する議論が完全に終わったわけではありません。特に、複数の関連特許に対する無効化の費用負担の問題や、特許権の行使に関する公平性の議論は、今後も継続していくことが予想されます。
また、今回の規則改正案の背景にあった問題意識、すなわち特許制度の競争促進効果と特許権者の保護のバランスという課題は依然として残されています。USPTOは、関係者からのフィードバックを真摯に受け止め、今後も特許システムの改善に取り組んでいく姿勢を示しています。特許実務家は、将来的な制度変更の可能性を念頭に置きつつ、現行制度下での最適な特許戦略を検討していく必要があるでしょう。
さらに、Loper Bright Enterprises v. Raimondo事件後の行政規則制定に対する司法審査の新たな枠組みの中で、USPTOが今後どのように規則制定を進めていくのかという点も、注目に値します。特許実務家は、これらの動向を注視しながら、クライアントに対して適切なアドバイスを提供していくことが求められます。
4. 結論
USPTOによるターミナルディスクレーマーの規則改正案の取り下げは、特許実務の安定性を維持する結果となりました。この決定により、特許権者は従来通りの予測可能な形で特許ポートフォリオを管理することができます。しかし、特許制度の競争促進効果と権利者保護のバランスという根本的な課題は依然として残されており、特許実務家は今後も制度変更の可能性を視野に入れた対応が求められます。特に、Loper Bright Enterprises事件後の行政規則制定を巡る新たな法的環境の中で、USPTOがどのような形で特許制度の改善を進めていくのか、その動向を注視していく必要があるでしょう。