はじめに
2025年3月14日、連邦巡回控訴裁判所(CAFC)はRegeneron v. Mylan事件において、バイオ医薬品の製剤特許に関する重要な判決を下しました。CAFCは「別個に列挙された要素は発明の別個の構成要素である」というBecton原則を適用し、Regeneron社の特許クレームにおける「VEGF阻害剤」と「バッファー」は別個の構成要素であると判断しました。この判決により、バイオシミラー製品が特許クレームの一部の構成要素を欠く場合、非侵害と認められる可能性が高まりました。本判決は、バイオ医薬品特許のクレーム作成戦略に大きな影響を与え、特許権者はクレーム要素間の関係性をより明確に記載する必要性が強調されることとなりました。
Regeneron v. Mylan事件の背景
EYLEAバイオシミラー訴訟の概要
本件の主役であるEYLEA®(一般名:アフリバーセプト)は、Regeneron社が開発した眼科用バイオ医薬品です。EYLEA®は、網膜における異常な血管新生を抑制することで、加齢黄斑変性や糖尿病性黄斑浮腫などの疾患を治療する製品であり、世界中で広く使用されています。
2023年8月、Amgen社は米国食品医薬品局(FDA)にEYLEA®のバイオシミラーであるABP 938(商品名:Pavblu)の承認申請(aBLA)を行いました。その後、Regeneron社はAmgen社に対して特許侵害訴訟を提起し、予備的差止命令(preliminary injunction)の申立てを行いました。
また、Regeneron社は同様に、Mylan社、Formycon社、Samsung Bioepis社、Celltrion社などの複数のバイオシミラー企業に対しても並行して訴訟を提起しており、これらの訴訟は多地区訴訟(Multidistrict Litigation、MDL)として統合されました。
Regeneronの’865特許とABP 938バイオシミラー
本件で争点となったのは、Regeneron社の米国特許第11,084,865号(以下「’865特許」)です。’865特許は、アフリバーセプトを含む眼科用製剤に関する特許で、その代表的なクレーム1には以下の構成要素が記載されています:
- 血管内皮増殖因子(VEGF)阻害剤(アフリバーセプト)
- 有機共溶媒
- バッファー
- 安定化剤
一方、Amgen社のABP 938は、通常のバイオシミラー製品とは異なる革新的な製剤設計を採用していました。具体的には、アフリバーセプト自体がバッファリング能力を持つように製造・製剤化することで、別個のバッファー成分を含まない製剤を開発していたのです。
予備的差止命令申立ての経緯
Regeneron社はAmgen社に対して予備的差止命令の申立てを行いましたが、地方裁判所はこれを却下しました。地方裁判所は、’865特許のクレームを解釈する際に「Becton原則」を適用し、「VEGF阻害剤」と「バッファー」は別個の構成要素であると判断しました。そして、Amgen社の製品には別個のバッファー成分が含まれていないため、非侵害の「実質的な疑問」があるとしたのです。
Regeneron社はこの判断を不服としてCAFCに控訴し、本件が提起されました。
Becton原則の適用と「別個の構成要素」の推定
クレーム構成要素の別個性に関する法理
「Becton原則」とは、Becton, Dickinson & Co. v. Tyco Healthcare Grp., LP判決(2010年)において確立された法理であり、「クレームが構成要素を別個に列挙している場合、それらの要素は発明の別個の構成要素である」という明確な含意(clear implication)が生じるというものです。
Becton判決では、「クレームが二つの別個の構造を要求している場合、被疑侵害製品からそのような構造の一つが欠けているならば、文言侵害は成立し得ない」という原則が示されました。この原則は、その後のSchindler Elevator Corp. v. Otis Elevator Co.判決(2010年)やKyocera Senco Indus. Tools Inc. v. Int’l Trade Comm’n判決(2022年)でも踏襲されています。
「別個の構成要素」推定の意義
クレーム解釈における「別個の構成要素」(separate limitation)の推定は、クレームの明確性と権利範囲の予見可能性を高める重要な役割を果たします。特許権者は、クレームにおいて構成要素を別個に列挙することで、それらの要素がどのような関係にあるのかを明確に示す必要があります。
また、「comprising(含む)」という開放型移行句を使用しているクレームでも、列挙された各構成要素は、追加の要素の存在を許容するものの、それぞれが別個のものであるという推定は覆りません。
推定を覆すための証拠基準
「別個の構成要素」の推定は絶対的なものではなく、特許の内容次第で反証が可能です。CAFCは、Google LLC v. Ecofactor, Inc.判決(2024年)において、この推定は「特定の特許の文脈において常に反証可能」であることを確認しています。
しかし、この推定を覆すためには、「別個の構成要素が単一の構成要素によって満たされ得る」ことを示す明確な証拠が必要です。特に重要なのは内在的証拠(特許明細書や出願経過)であり、外在的証拠(専門家証言や辞書など)のみで推定を覆すことは困難とされています。
内在的証拠と外在的証拠の分析
内在的証拠の優位性
CAFCは本件において、Phillips v. AWH Corp.判決(2005年)で確立された原則に従い、クレーム解釈においては内在的証拠が優先されることを改めて強調しました。
内在的証拠とは、特許明細書、クレーム文言、出願経過などであり、外在的証拠(専門家証言や技術文献など)は、内在的証拠が明確で曖昧でない場合には、クレーム解釈に影響を与えないとされています。このIntel Corp. v. VIA Techs判決(2003年)でも確認された原則は、本件でも重要な役割を果たしました。
クレーム文言と明細書による裏付け
CAFCは、’865特許の全クレームにおいて「VEGF阻害剤」と「バッファー」が一貫して区別されていることを重視しました。両構成要素は異なる濃度単位(different units of measurement)で記載されており、明細書の実施例や製剤成分の記載パターンからも、両者が別個の構成要素であることが裏付けられていました。
特に重要なのは、明細書のどこにも「VEGF阻害剤」がバッファーとしての機能を果たす可能性について記載されていなかった点です。CAFCは、「明細書には、VEGF阻害剤が別個のバッファー構成要素を満たす可能性を示す記載がない」と指摘しました。
外在的証拠の役割と限界
Regeneron社は、アフリバーセプトの自己バッファリング能力に関する専門家証言や、国際特許出願WO 2006/138181(「生物薬剤タンパク質が自己バッファリング成分として製剤化され得る」と記載)などの外在的証拠を提出しました。
しかし、CAFCは、内在的証拠が明確で曖昧でない場合には外在的証拠を考慮する必要がないとした上で、提出された外在的証拠を検討しても、いずれもアフリバーセプトが医薬品製剤においてバッファーとして機能し得ることを示すものではないと判断しました。むしろ、自己バッファリングタンパク質が「よく知られている」とは言えないことを裏付けるものだと解釈されました。
バイオ医薬品特許における製剤クレームの解釈
バイオシミラー訴訟における製剤クレームの重要性
バイオ医薬品の特許保護において、活性成分(物質特許)だけでなく、製剤特許も重要な役割を果たします。特に活性成分の特許が満了に近づくと、製剤特許が重要な防御ラインとなります。
製剤特許は、バイオシミラー企業による設計回避(design-around)戦略からの防御に役立ちますが、本件のように、クレームの記載方法によっては、予期せぬ設計回避を許してしまう可能性があります。
「バッファー」と「VEGF阻害剤」の機能的重複の問題
バイオ医薬品製剤において、タンパク質の自己バッファリング能力は新しい概念ではありませんが、それをバイオシミラー開発の中心的戦略として位置づけた点が、本件のAmgen社のアプローチの革新的な側面です。
伝統的には、バッファーはpHを一定範囲に維持するために添加される独立した成分と理解されてきましたが、本件では、タンパク質自体のバッファリング能力に着目した製剤設計が非侵害と判断されました。
興味深いことに、同じMDLにおける他のバイオシミラー企業(Formycon社)との訴訟では、「バッファー」の解釈に関して異なる判断がなされていました。しかし、CAFCはFormycon判決とは争点が異なるとして、その判断に拘束されないとしました。
成分の二重機能性に関する特許出願戦略
本件の教訓は、特許出願時に成分の多機能性を明示的に記載することの重要性です。一成分が複数の機能を果たす可能性がある場合、それを明示的に記載せずに別個の構成要素として列挙すると、本件のような状況で権利行使が困難になる可能性があります。
機能的限定と構造的限定のバランスを考慮しつつ、将来の設計回避を予測した防御的クレーム戦略が求められます。特に、成分間の機能的重複の可能性がある場合は、代替クレームセットやより包括的な表現を検討すべきでしょう。
特許クレーム作成への実務的影響
「comprising」表現の使用と限界
「comprising(含む)」という開放型移行句は、クレームに列挙されていない追加の要素の存在を許容するものですが、本件のCAFC判決は、これが列挙された要素間の関係性にまで影響を与えるものではないことを確認しました。
つまり、「comprising」を使用したとしても、列挙された各要素は別個のものであるという推定は覆りません。クレーム要素の重複可能性を意図する場合は、その旨を明示的に記載する言語選択が必要です。
構成要素の明確な区別の重要性
本件から学ぶべき重要な教訓は、構成要素間の関係性を明確にする明細書の記載方法の重要性です。特に、一成分が複数の機能を果たす可能性がある場合は、その旨を明示的に記載することが重要です。
また、クレーム要素の数と侵害立証の難易度のバランスも考慮すべき重要な要素です。構成要素が多いほど権利範囲は狭くなり、1つでも欠ける場合には文言侵害が成立しなくなるため、必要最小限の構成要素でクレームを記載することが望ましいでしょう。
予見可能な設計回避戦略への対応策
Amgen社の革新的製剤アプローチは、バイオシミラー企業による設計回避戦略の新たなモデルケースとなる可能性があります。このような戦略に対応するためには、構成要素の機能的側面と物理的側面の両方をカバーするクレーム戦略が必要です。
例えば、「バッファリング能力を有する成分」といった機能的表現や、「バッファリング能力を有するVEGF阻害剤を含む製剤」といった表現を明示的に含めることで、成分の不在による非侵害主張に対する防御が可能になるでしょう。
生物学的製剤特許訴訟における予備的差止命令の基準
「成功の見込み」要件の実務的意義
バイオシミラー承認後の予備的差止命令申立ては、特許権者にとって重要な法的手段ですが、「成功の見込み」(likelihood of success)を立証する必要があります。本件では、被疑侵害製品に「実質的な非侵害の疑問」(substantial question of non-infringement)があるとされ、この要件を満たさないと判断されました。
非侵害の「実質的な疑問」の証明基準は、Genentech, Inc. v. Novo Nordisk A/S判決(1997年)で確立されており、この基準に照らすと、本件のようなクレーム解釈上の不確実性があれば、予備的差止命令の発令は困難であることが改めて確認されました。
非侵害の「実質的な疑問」と証明責任
CAFCは、地方裁判所のクレーム解釈の判断を尊重しています。クレーム解釈の誤りと裁量権の乱用は異なる基準で審査されますが、本件では、地方裁判所のBecton原則適用に誤りはないとされました。
予備的差止命令段階での証拠評価には限界があり、完全な証拠開示(ディスカバリー)前の段階では、クレーム解釈に関する実質的な疑問があれば予備的差止命令は認められにくいという実務上の原則が確認されました。
予備的差止命令戦略の再考
本件の結果を受けて、製剤特許に基づく予備的差止命令戦略の限界が明らかになりました。特許権者は、製剤特許だけでなく、異なる側面をカバーする追加的特許権の活用を検討すべきでしょう。
また、予備的差止命令が否定されても、本案訴訟で侵害が認定された場合の「故意侵害」リスクによる和解促進の可能性も考慮すべきです。実際、本件の判決後、Amgen社が「自社製品は非侵害である」という法的見解を得たことで、「故意」侵害のリスクが低減し、市場参入の決断が容易になった可能性があります。
結論:バイオシミラー特許訴訟におけるクレーム解釈の今後
Regeneron v. Mylan判決は、バイオ医薬品特許実務、特に製剤特許のクレーム作成と権利行使戦略に重要な示唆を与えています。この判決は、「別個に列挙された要素は別個の構成要素である」という推定が強固であること、そしてこの推定を覆すには明示的な内在的証拠が必要であることを改めて確認しました。
バイオシミラー市場においては、本判決を受けて、活性成分自体の特性を活かした設計回避戦略が今後増加する可能性があります。特許出願人は、構成要素間の機能的重複の可能性を念頭に置き、より包括的かつ柔軟なクレーム戦略を模索する必要があるでしょう。
特許弁護士・弁理士と出願人にとっての実務的教訓として、成分の多機能性を考慮したクレーム記載の重要性、内在的証拠の充実、そして「別個の構成要素」推定の強さを考慮した権利化戦略の策定が挙げられます。バイオ医薬品特許の権利行使の成否は、出願段階でのクレーム戦略に大きく依存することを、本件は改めて示しているのです。