近年、人工知能(AI)技術の急速な発展に伴い、AIが生成するコンテンツが急増しています。こうしたAIが生成する開示情報(AI-generated disclosures)が、特許審査における先行技術(prior art)として扱われるべきかどうかについて、活発な議論が行われています。
2024年4月30日、米国特許商標庁(USPTO)は、「人工知能の普及が先行技術、当業者の知識(PHOSITA)、および特許性の判断に与える影響に関する意見募集(Request for Comments Regarding the Impact of the Proliferation of Artificial Intelligence on Prior Art, the Knowledge of a Person Having Ordinary Skill in the Art, and Determinations of Patentability Made in View of the Foregoing)」を発表しました。この意見募集では、AIの普及が先行技術や当業者の知識に与える影響について、パブリックコメントを求めています。
USPTOは、AIの力と普及が、社会や経済に多大な恩恵をもたらし、イノベーションと創造性の新たな波を促進する一方で、知的財産(IP)政策にも新たな課題と機会をもたらすことを認識しています。特に、AIが生成する開示情報が大量に増加することで、先行技術の範囲が大幅に拡大する可能性があり、その結果、特許性の判断に影響を与える可能性があることが懸念されています。
本記事では、AIが生成するコンテンツが先行技術として扱われる可能性とその影響について、USPTOの意見募集を中心に考察していきます。また、こうしたAIが生成する先行技術をめぐる課題と、特許制度や特許実務に与える影響についても検討します。
AIが生成する先行技術とその影響
AIによる大量の先行技術生成の可能性
AIの発展により、大量の先行技術が自動的に生成される可能性が高まっています。機械学習アルゴリズムやニューラルネットワークを用いたAIシステムは、膨大なデータを分析し、新たな組み合わせや解決策を生成することができます。こうしたAIが生成するコンテンツは、特許出願前に公開されることで、先行技術として機能する可能性があります。
AIが生成する開示情報の品質と実施可能性に対する懸念
しかし、AIが生成する開示情報の品質と実施可能性については、懸念が示されています。AIが生成するコンテンツは、しばしば曖昧で技術的に不十分な内容であることが指摘されています。また、AIは時として事実と異なる情報を生成する傾向があり、これは「幻覚」と呼ばれています。こうしたAIが生成する開示情報の信頼性と実施可能性に対する疑問は、先行技術としての有効性に影響を与える可能性があります。
特許ポートフォリオと特許価値への影響
AIが生成する先行技術の増加は、特許ポートフォリオと特許の価値に影響を与える可能性があります。大量のAIが生成するコンテンツが先行技術として認められた場合、既存の特許の有効性が脅かされる可能性があります。また、将来の特許出願においても、AIが生成する先行技術によって新規性や非自明性の要件を満たすことが困難になる可能性があります。その結果、特許ポートフォリオの価値が低下し、特許による保護の効果が薄れる恐れがあります。
先行技術調査と特許出願プロセスにおける時間とコストの増加
AIが生成する先行技術の増加は、先行技術調査と特許出願のプロセスにも影響を与える可能性があります。大量のAIが生成するコンテンツが存在する状況では、関連する先行技術を見つけ出すために、より多くの時間と労力が必要となります。また、AIが生成する先行技術の品質と実施可能性を評価するために、追加の調査とリソースが必要となる可能性があります。その結果、特許出願のプロセスにおける時間とコストが増加し、特許制度全体の効率性に影響を与える可能性があります。
AIが生成したコンテンツと人間が作成した先行技術の区別
AIが生成する先行技術の評価において、AIが生成したコンテンツと人間が作成した先行技術を区別することが課題となります。現在、AIが生成したコンテンツが先行技術として引用された事例はほとんどありませんが、今後はAIが生成したコンテンツが増加することが予想されます。審査官や特許実務家は、先行技術の出所を特定し、AIが生成したコンテンツを適切に評価する方法を確立する必要があります。
AIが生成する開示情報における技術的詳細の欠如
AIが生成する開示情報は、発明の実施に必要な技術的詳細が不足している可能性があります。例えば、AIが生成する先行技術は、発明の構成要素や動作原理について十分に説明していない場合があります。審査官は、AIが生成する先行技術の技術的詳細を評価し、当業者が発明を実施できるだけの十分な情報が開示されているかどうかを判断する必要があります。
AIが生成する先行技術の評価には、これらの課題に対処するための新たな方法論や基準が必要となる可能性があります。特許制度は、AIの発展に伴う変化に適応し、先行技術の評価における公平性と一貫性を維持することが求められます。
当業者(PHOSITA)に対するAIの影響
一般的に使用されているAIツールの特定とPHOSITAによる使用の推定
AIツールの普及に伴い、当業者(PHOSITA: Person Having Ordinary Skill in the Art)が一般的に使用しているAIツールを特定することが重要になります。USPTOは、どのようにしてこれらのAIツールを特定し、それらがPHOSITAに知られており、使用されていると推定すべきかについて意見を求めています。
特許審査においては、PHOSITAの知識と能力が、クレームの解釈、新規性、自明性、記述要件、実施可能要件の判断基準として機能します。したがって、AIツールがPHOSITAに広く知られ、使用されているかどうかを判断することは、特許性の評価に大きな影響を与える可能性があります。
AIツールの利用可能性を考慮したPHOSITAのスキルレベルの評価
AIツールの利用可能性は、PHOSITAに期待されるスキルレベルにも影響を与える可能性があります。AIツールによって、特定の技術分野における問題解決や発明のプロセスが容易になる場合、PHOSITAのスキルレベルも向上すると考えられます。
USPTOは、AIツールの利用可能性を考慮して、PHOSITAに求められるスキルレベルをどのように評価すべきかについて意見を求めています。これは、発明の自明性の判断に直接影響を与える可能性があります。AIツールによってPHOSITAのスキルレベルが向上した場合、より多くの発明が自明であると判断される可能性があります。
自明性と特許性の判断への影響
AIツールがPHOSITAに広く利用可能であり、そのスキルレベルに影響を与える場合、発明の自明性と特許性の判断にも影響を与える可能性があります。AIツールによって、先行技術の組み合わせや発明の創出がより容易になる場合、発明の自明性の基準が引き上げられる可能性があります。
また、AIツールによって生成された大量の先行技術が存在する状況では、新規性や非自明性の要件を満たすことがより困難になる可能性があります。したがって、AIツールの影響を考慮して、特許性の判断基準を適切に調整することが必要となる可能性があります。
当業者に対するAIの影響は、特許制度の根幹に関わる問題であり、慎重な検討が必要とされています。USPTOは、これらの問題について広く意見を求め、AIの発展に対応した特許制度の在り方を模索しています。
潜在的な解決策と考慮事項
人間が作成した先行技術とは異なるAIが生成する開示情報の扱い
AIが生成する開示情報を先行技術として扱う場合、人間が作成した先行技術とは異なる扱いが必要である可能性があります。例えば、AIが生成する開示情報に対して、追加の基準や要件を設定することが考えられます。これには、AIが生成する開示情報の品質、実施可能性、および技術的詳細の評価が含まれます。また、人間の関与や監修の程度に応じて、AIが生成する開示情報の先行技術としての扱いを変更することも検討に値します。
AIが生成するコンテンツに対する実施可能性の推定の修正
現在、先行技術は、当業者が発明を実施できるために十分な情報を開示していることが推定されています。しかし、AIが生成するコンテンツについては、この推定を修正する必要がある可能性があります。AIが生成する開示情報は、実施可能性や技術的詳細が不足している場合があるため、実施可能性の推定を適用すべきかどうかを検討する必要があります。また、AIが生成するコンテンツの実施可能性を評価するための新たな基準や方法論を開発することも重要です。
AIが生成する先行技術に異議を唱えるための手続きの整備
AIが生成する先行技術が増加する中で、これらの先行技術に異議を唱えるための手続きを整備することが重要です。例えば、特許出願人が、AIが生成する先行技術の実施可能性や技術的詳細に疑問を呈する機会を提供することが考えられます。また、AIが生成する先行技術の評価に専門家の意見を取り入れるなど、異議申立ての手続きを強化することも検討に値します。
先行技術の参照資料としての既存の特許と出願への依存
AIが生成する先行技術の品質や実施可能性に疑問がある場合、既存の特許や特許出願を先行技術の参照資料として重視することが考えられます。特許文献は、発明の実施に必要な情報を開示することが法的に要求されているため、より信頼性が高い先行技術として機能します。したがって、審査官は、AIが生成するコンテンツよりも、既存の特許や特許出願を先行技術の主要な情報源として利用することが推奨されます。
イノベーションの奨励とAIが生成するコンテンツの量のバランス
AIが生成する先行技術の増加は、イノベーションを阻害する可能性があります。大量のAIが生成するコンテンツが先行技術として認められた場合、新規性や非自明性の要件を満たすことが困難になり、特許取得のハードルが上がる可能性があります。したがって、イノベーションを奨励しつつ、AIが生成するコンテンツの量を適切に管理することが重要です。これには、AIが生成する先行技術の評価基準を適切に設定し、真に革新的な発明を保護することが含まれます。
これらの潜在的な解決策と考慮事項は、AIが生成する先行技術がもたらす課題に対処するための出発点となります。特許制度は、イノベーションの奨励とAIの発展のバランスを取りながら、適切な対応策を講じることが求められています。
法改正と政策変更
米国特許法第35条の改正の可能性
AIが生成する先行技術の増加に対応するために、米国特許法第35条(35 U.S.C.)の改正が必要となる可能性があります。現行の特許法は、AIの発展を想定していないため、AIが生成するコンテンツを先行技術として扱うための明確な規定が存在しません。法改正により、AIが生成する先行技術の定義、評価基準、および法的位置づけを明確にすることが求められます。また、AIが生成する先行技術に関する特許性の要件、例えば、新規性や非自明性の基準を調整することも検討に値します。
他国の法律と実務の調査
AIが生成する先行技術への対応は、米国だけでなく、世界的な課題となっています。他国の法律と実務を調査し、ベストプラクティスを学ぶことが重要です。例えば、欧州特許庁(EPO)や日本特許庁(JPO)などの主要な特許庁がAIが生成する先行技術をどのように扱っているかを調査することが有益です。また、AIと知的財産権に関する国際的な議論や協調を促進するために、世界知的所有権機関(WIPO)などの国際機関とも連携することが考えられます。
政策立案者、USPTO、ステークホルダー間の連携
AIが生成する先行技術への対応には、政策立案者、USPTO、および特許制度のステークホルダー間の緊密な連携が不可欠です。政策立案者は、AIの発展と特許制度の調和を図るための法改正や政策変更を主導する役割を担います。USPTOは、AIが生成する先行技術の評価基準や審査手続きを整備し、特許審査の品質と一貫性を確保する責任があります。また、特許制度のステークホルダー、例えば、特許権者、特許実務家、産業界、学術機関などは、AIが生成する先行技術の影響について意見を提供し、実務的な課題や要望を共有することが期待されます。
これらの連携を通じて、AIが生成する先行技術に関する法改正と政策変更を効果的に進めることができます。また、特許制度のステークホルダーの意見を反映することで、実務的な課題に対応し、イノベーションを促進する制度設計が可能となります。
AIが生成する先行技術への対応は、特許制度の根幹に関わる重要な課題です。米国特許法の改正、他国の法律と実務の調査、および関係者間の連携を通じて、AIの発展と特許制度の調和を図ることが求められています。USPTOの意見募集は、この課題に対する取り組みの第一歩であり、今後の議論と政策形成に大きな影響を与えると期待されます。
まとめ
AIが生成するコンテンツが先行技術として認められる可能性は、特許制度に新たな挑戦と機会をもたらします。AI技術の進展に伴い、大量のAI生成コンテンツが公開されることで、先行技術の範囲が広がり、特許性の評価が複雑化する一方で、特許ポートフォリオの価値や特許出願プロセスにも影響を与える可能性があります。USPTOの意見募集は、AIが特許制度に与える影響を評価し、法改正や政策変更を検討するための重要なステップであり、イノベーションを促進しつつ、公平かつ効率的な特許制度を維持するための出発点となります。