はじめに
連邦巡回控訴裁判所(United States Court of Appeals for the Federal Circuit、以下「CAFC」)は、2025年4月4日に営業秘密の不正使用と秘密保持契約違反に関する重要な判決を下しました。Ams-Osram USA Inc. v. Renesas Electronics America, Inc.事件は、2008年から続いた長期の訴訟の最新判断であり、知財実務家にとって営業秘密保護の範囲、アクセス可能性の判断基準、および適切な損害賠償の算定方法について重要な指針を提供しています。
本件は、環境光センサー技術に関する営業秘密の不正使用をめぐり、複数の法的論点を扱っています。CAFCは、営業秘密がいつアクセス可能になったか、不正使用による「ヘッドスタート」期間はどれくらいか、そして損害賠償はどのように計算されるべきかについて重要な判断を示しました。この判決は、今後の営業秘密訴訟における重要な先例となるでしょう。
事件の事実背景
本件は、環境光センサー技術に関する営業秘密の不正使用をめぐる訴訟です。事件の主要な当事者と経緯は以下の通りです。
当事者と技術概要
原告: TAOS(Texas Advanced Optoelectronic Solutions、現Ams-Osram USA Inc.)
- 環境光センサー技術を開発し、特にスマートフォンやタブレットなどの消費者向け電子機器に使用される光センサー製品を製造
- 2005年2月に市場に製品を投入
被告: Intersil(現Renesas Electronics America, Inc.)
- 半導体メーカーであり、TAOSと競合する光センサー製品を開発
紛争の経緯
2004年: TAOSとIntersilは企業合併の可能性について協議を開始
- 両社は秘密保持契約(NDA)を締結し、TAOSは自社の光センサー技術に関する機密情報をIntersilと共有
- 合併交渉は最終的に決裂
2005年2月: TAOSが問題となる光センサー製品を市場に投入
2006年1月: Intersilが実際にTAOS製品のリバースエンジニアリングを実施
2006年9月: IntersilがAppleのiPod Touch向け光センサーの供給業者として承認される(「設計採用」)
2007年4月: 地方裁判所が認定したヘッドスタート期間の終了時期
2008年1月〜3月: IntersilがiPhone 3G向け光センサーの設計採用を獲得
2008年: TAOSがIntersilに対して訴訟を提起
- 営業秘密の不正使用
- 秘密保持契約違反
- その他の請求
この訴訟は2008年から2025年まで17年以上にわたって継続し、地方裁判所での審理、CAFCへの複数回の控訴を経て、本判決に至りました。主な争点は、営業秘密のアクセス可能性の時期、ヘッドスタート期間の長さ、および適切な損害賠償額の算定方法でした。
営業秘密のアクセス可能性の法的基準
営業秘密の保護期間を決定する上で、その情報が「アクセス可能」になった時期の判断は極めて重要です。本件では、地方裁判所と控訴裁判所で見解が分かれた点でもあります。
リバースエンジニアリングと営業秘密保護の関係
テキサス州法では、「容易に解明可能」(readily ascertainable)な情報は営業秘密として保護されません。これは、リバースエンジニアリングによって合法的に取得できる情報は営業秘密としての保護を失うことを意味します。本件において、地方裁判所とCAFCの間で、製品がいつリバースエンジニアリングによって「容易に解明可能」になったかという営業秘密のアクセス可能性の判断基準について重要な見解の相違が生じました。
地方裁判所の見解:
- Renesas(旧Intersil)が実際にTAOS(現Ams-Osram USA)の製品をリバースエンジニアリングした2006年1月を基準日とすべき
- 実際に行われたリバースエンジニアリングの完了時点を重視
CAFCの見解:
- 実際のリバースエンジニアリング完了日ではなく、理論的に可能となった日が法的基準となる
- TAOS製品が市場に出た2005年2月から約1週間後には理論的にリバースエンジニアリングが可能だったとする
- テキサス州法における「容易に解明可能」の定義は、情報が公に入手可能な製品から適切な方法で発見できる理論的可能性に基づく
CAFCは、業界標準のリバースエンジニアリング手法が理論的に可能であれば、それが実際に行われたかどうかは重要ではないという原則を確立しました。この判断により、営業秘密のアクセス可能性の開始時期が約11ヶ月早まることになり、営業秘密保護の期間に関する重要な法的解釈が示されました。
アクセス可能性の客観的判断基準
CAFCは、営業秘密のアクセス可能性の判断における客観的基準の重要性を強調しました。
- 公開製品からの営業秘密の発見可能性は、実際の発見ではなく理論的な可能性に基づくべきです
- 「不正行為なく入手可能」という基準が適用され、合法的な方法で情報を取得できるかどうかが判断の鍵となります
- Tewari De-Ox Systems, Inc. v. Mountain States/Rosen, L.L.C.事件(第5巡回区、2011年)など関連判例を引用し、「公開領域内の製品からのリバースエンジニアリングによって入手可能な情報は、営業秘密として保護されない」との原則を確認しました
CAFCは、「情報は、それが実際にリバースエンジニアリングされた時点ではなく、リバースエンジニアリングが可能になった時点でアクセス可能となる」という重要な法的原則を確立しました。これは、営業秘密保有者が製品を市場に出す際のリスク評価に大きな影響を与える判断です。
ヘッドスタート期間の算定
営業秘密訴訟においては、不正使用者がどれだけの期間不当な競争上の優位性を得たかを判断するための「ヘッドスタート期間」の算定が重要になります。本件では、営業秘密のアクセス可能性の日付が変更されたにもかかわらず、ヘッドスタート期間に関する地方裁判所の判断が支持されました。
不正競争上の利益の時間的範囲
ヘッドスタート期間は、不正使用者が営業秘密を不正に入手することで得た時間的な競争優位性を指します。
- Hyde Corp. v. Huffines事件(テキサス州最高裁、1958年)は、ヘッドスタート期間の法的根拠となる重要な判例であり、「不正使用者は、その秘密を法的に発見できるようになるまでの期間のみ、その使用を禁じられるべきである」という原則を確立しました
- 技術的複雑さと企業の開発能力に基づいてヘッドスタート期間を算定することが重要です
- 本件では、地方裁判所が認定した26ヶ月のヘッドスタート期間がCAFCにより支持されました
Renasasは営業秘密に関する経験がなく、市場参入に26ヶ月を要したであろうとの事実認定は、「明らかな誤り」(clear error)の基準で審査され、妥当と判断されました。この「明らかな誤り」基準は、控訴審が地方裁判所の事実認定を覆すには、その認定が証拠に照らして明らかに誤っていると確信する必要があるという厳格な審査基準です。この期間は、営業秘密が2005年2月にアクセス可能になったとしても、2007年4月まで続くことになります。
製品開発タイムラインとの関連性
ヘッドスタート期間は実際の製品開発タイムラインと密接に関連しています。
- 営業秘密アクセス可能日からヘッドスタート期間を計算する方法は、具体的な事例に基づいて柔軟に適用されるべきです
- 設計採用(design win)時期の重要性が強調され、本件ではRenasasがAppleのiPod Touchの供給業者として承認された2006年9月が重要な日付となりました
- ヘッドスタート期間後の利益に対する請求は制限され、CAFCはiPhone 3Gの設計採用(2008年1月〜3月)に関連する利益はヘッドスタート期間外であるとしました
CAFCは、ヘッドスタート期間内に獲得された「設計採用」から生じる売上に関する重要な法的判断を示しました。具体的には、不正使用者が営業秘密を利用して特定の製品設計に採用された場合、その「設計採用」がヘッドスタート期間内に発生していれば、たとえ実際の製品販売がヘッドスタート期間終了後であっても、その売上は不正使用の直接的結果として損害賠償の対象に含まれるという原則を確立しました。この判断の根拠として、CAFCは「設計採用」という事象自体が重要な商業的価値を持ち、その後の継続的な取引関係の基礎となることを強調しました。また、不正使用者が営業秘密を利用して獲得した市場機会から生じる利益全体を権利者に返還させることが公正であるとの法理を適用しました。この判断により、Renasasが不正に獲得したAppleのiPod Touch向け製品の設計採用から生じた売上全体(ヘッドスタート期間後の販売分を含む)が損害賠償算定の基礎として認められることになりました。
損害賠償の法的枠組み
営業秘密の不正使用および契約違反に対する損害賠償は、本件の中心的な争点でした。CAFCは、複数の損害賠償項目について、それぞれの法的根拠と計算方法を詳細に検討しました。
不当利得返還(Disgorgement)
不当利得返還は、不正使用者が営業秘密の使用によって得た利益を権利者に返還させる救済方法です。
- 不当利得返還はエクイティ上の救済措置であり、CAFCは2018年の判決で、この判断は陪審ではなく裁判官によって行われるべきであると明確にしました
- 本件では、特定製品(ISL29003)の販売からの利益約854万ドルが不当利得返還として認められました
- ヘッドスタート期間内に発生した「設計採用」の長期的影響が認められ、その後の期間の売上も含めて計算されました
CAFCは、地方裁判所による不当利得返還の計算方法を支持しました。この計算方法では、Renasasが営業秘密を不正使用して得た利益を算出するために、ISL29003製品の売上から直接的な製造コストを差し引いた金額(約854万ドル)を基準としていました。さらに、ヘッドスタート期間内に獲得された「設計採用」から生じた全ての売上(期間後の販売分も含む)を損害賠償の対象としました。CAFCは、営業秘密のアクセス可能性の日付が2004年3月から2005年2月に変更されたにもかかわらず、この変更が最終的な不当利得返還額に影響を与えないと判断しました。これは、ヘッドスタート期間(26ヶ月)の終了時期が2007年4月となり、問題となった設計採用(2006年9月)がこの期間内に発生していたためです。
懲罰的損害賠償(Exemplary Damages)
テキサス州法では、詐欺、悪意、または重過失による営業秘密の不正使用に対して懲罰的損害賠償が認められています。
- テキサス州民事実務・救済法§41.008に基づき、懲罰的損害賠償は不当利得返還額の2倍を上限とする計算が適用されました
- 陪審は6,400万ドルの懲罰的損害賠償を認定しましたが、法定上限により1,709万ドルに減額されました
- Renasasは、エクイティ上の救済である不当利得返還に対して懲罰的損害賠償を課すことはできないと主張しましたが、CAFCはこの議論が前回の控訴で提起されなかったため放棄されたと判断しました
CAFCは、Engel Industries, Inc. v. Lockformer Co.事件(1999年)を引用し、以前の控訴で提起されなかった議論は放棄されるという法理を適用しました。
契約違反に対する合理的ロイヤリティ
秘密保持契約違反に対する損害賠償は、営業秘密の不正使用とは別個の請求として認められました。
- 営業秘密と区別される秘密情報の保護が重要であり、CAFCは両方の請求に基づく回復が二重回収にはならないと判断しました
- 派生製品に対するロイヤリティの適用可能性が認められ、営業秘密を直接含まない製品であっても、秘密情報に基づいて開発された場合はロイヤリティの対象となります
- カリフォルニア州法の秘密保持契約解釈が適用され、Celeritas Technologies, Ltd. v. Rockwell International Corp.事件(1998年)が引用されました
本件の秘密保持契約にはカリフォルニア州法を準拠法とする条項が含まれていたため、テキサス州で訴訟が行われたにもかかわらずカリフォルニア州法の秘密保持契約解釈が適用されました。CAFCは、合計約730万ドルの合理的ロイヤリティ損害賠償を支持し、ISL29003以外の製品に対する10年間のライセンス期間の妥当性も認めました。
判決前利息の計算問題
損害賠償額に対する判決前利息の計算は、訴訟が17年以上続いたことから大きな影響を持ちました。CAFCは、利息計算に関する地方裁判所の方法に誤りがあると判断しました。
損害発生時期に基づく利息計算
CAFCは判決前利息の計算において重要な法理を確認しました。
- 訴訟提起日(2008年)ではなく実際の損害発生日からの計算が必要とされました
- 将来の売上に対する判決前利息の適用は不適切であると判断されました
- King Instruments Corp. v. Perego事件(1995年)が引用され、「利息は、損失が発生した時点から開始すべき」という原則が確認されました
地方裁判所は訴訟提起日から判決日までの全期間に対して利息を計算しましたが、CAFCはこれを誤りとし、各販売が実際に発生した日から計算すべきとしました。
適切な利息計算方法
CAFCは、より適切な利息計算方法について指針を示しました。
- 製品販売日に基づく時系列計算の必要性が強調されました
- 実務的な粒度(granularity)の許容範囲について言及され、個々の販売ごとの正確な日付を特定することが困難な場合は、合理的な近似値が許容されるとしました
- 証拠に基づく合理的な計算方法の選択が重要であり、裁判所に広い裁量が認められるとしました
CAFCは「正当化できる粒度レベルでの計算方法」が十分であるとの見解を示し、再計算のために事件を差し戻しました。これにより、約1,500万ドルとされた判決前利息は再計算されることになります。
実務への影響
本判決は、営業秘密の保護と損害賠償に関して、実務家が考慮すべき多くの重要な示唆を含んでいます。
営業秘密保護戦略への示唆
CAFCの判決は、営業秘密保護戦略に関する重要な示唆を提供しています。
- 製品公開時の営業秘密保護対策の重要性が高まりました。製品が市場に出た時点で、リバースエンジニアリングによって発見可能な情報は、実際に発見されていなくても法的保護が弱まる可能性があります
- リバースエンジニアリングに対する防御策として、技術的保護手段や特許出願の検討が重要になります
- 秘密保持契約の適切な設計と執行が、営業秘密保護を補完する重要な役割を果たします。本件でも、営業秘密保護が終了した後も契約上の保護が継続することが示されました
特に、製品を公開する前に、含まれる技術情報がリバースエンジニアリングによってどの程度解析可能かを評価し、適切な保護戦略を立てることが重要です。
損害賠償請求の最適化
本判決は、複合的な損害賠償請求戦略の重要性を示しています。
- 複数の法的理論に基づく請求の分離と連携が効果的であり、本件では営業秘密と契約違反の両方に基づく回復が認められました
- 利益返還と合理的ロイヤリティの違いの理解が重要であり、それぞれ異なる製品群に適用することで、より包括的な救済が可能になります
- 損害額の適切な証明方法として、ヘッドスタート期間の設定と「設計採用」の時期の因果関係の証明が重要です
本件では、営業秘密不正使用と契約違反の両方の請求を維持することで、より広範な損害回復が可能になりました。また、ヘッドスタート期間内の「設計採用」から生じる全ての売上が損害賠償の対象になるという理論が認められたことは、今後の訴訟戦略に大きな影響を与えるでしょう。
結論
Ams-Osram USA Inc. v. Renesas Electronics America, Inc.事件は、営業秘密保護と損害賠償に関する多くの重要な法理を確認し、発展させました。パテント実務家は、営業秘密のアクセス可能性の判断基準、ヘッドスタート期間の重要性、および適切な損害賠償の算定方法について理解を深める必要があります。
本件は、技術情報の保護と適切な補償を確保するための重要な指針を提供しています。特に、営業秘密がいつアクセス可能になるかについての客観的基準、ヘッドスタート期間の算定方法、不当利得返還と懲罰的損害賠償の関係、そして判決前利息の計算方法に関する重要な判断が示されました。
秘密情報の共有と保護に関する戦略は、営業秘密の価値を最大化するために慎重に設計されるべきです。製品の公開と営業秘密の保護のバランス、秘密保持契約の効果的な利用、そして複数の法的理論に基づく損害賠償請求の組み合わせが、技術革新を促進しながら知的資産を保護するための鍵となるでしょう。
本判決は、17年に及ぶ訴訟の一つの節目であり、営業秘密訴訟における重要な先例として、今後も引用されることになるでしょう。