Two businessmen in suits standing in front of a Chinese national flag, symbolizing a legal dispute over economic espionage and sovereign immunity

経済スパイ事件における主権免除の限界:第9巡回区控訴裁判所の重要判断

はじめに

国際的な技術競争が激化する中、知的財産の窃取を目的とした経済スパイ行為(economic espionage)が国家安全保障上の重大な懸念となっています。特に先進国と新興国の間では、先端技術の獲得を巡る緊張が高まり、国有企業が関与する事例も増加しています。このような背景の中、米国第9巡回区控訴裁判所(United States Court of Appeals for the Ninth Circuit、以下「第9巡回区」)は、中国の国有企業による経済スパイ行為に対して主権免除(sovereign immunity)の適用を否定する重要な判断を下しました。

U.S. v. Pangang Group Co., Ltd. 事件において、第9巡回区は国有企業が主権免除を主張するための条件を明確に示し、商業的活動と政府機能の区別に関する重要な先例を確立しました。本稿では、この画期的な判決の詳細と、国際的な知的財産保護戦略への影響について深く掘り下げていきます。

事件の背景

国際的な技術競争の舞台では、営業秘密(Trade Secrets)の保護がますます重要になっています。特に国家戦略として技術獲得を進める国々との関係では、法的保護の実効性が試されています。本事件は、そのような緊張関係を象徴する事例の一つです。

事件の概要

米国政府は当初Pangang Group社および関連会社(以下「Pangang企業群」)に対して経済スパイ法(Economic Espionage Act、以下「EEA」)違反の容疑で刑事訴追を開始し、2016年1月5日に「第3次修正起訴状」を提出しました。この起訴状では、Pangang企業群に対して経済スパイ共謀罪(18 U.S.C. § 1831(a)(5))および経済スパイ未遂罪(18 U.S.C. § 1831(a)(1)-(4))の2つの罪状が記されています。具体的には、これらの企業がE.I. du Pont de Nemours & Company(DuPont社)の二酸化チタン(TiO₂)製造に関する企業秘密を盗み出そうとしたとされています。

二酸化チタンは、塗料、プラスチック、紙などに使用される価値の高い白色顔料です。中国政府は1990年代から、塩素法による二酸化チタン生産技術の開発を科学的・経済的優先事項として公表していました。しかし、この技術は欧米企業が保有しており、DuPont社は中国企業にこの技術を売却またはライセンス供与する意思がありませんでした。

Pangang Group社らは、DuPont社の企業秘密を不正に入手し、中国に塩素法による二酸化チタン生産プラントを建設するために使用しようとしたとされています。起訴状によれば、これらの企業は「中国政府または外国機関に利益をもたらす意図」を持って行動したと主張されています。

争点となった主権免除の主張

訴訟の焦点となったのは、Pangang Group社らが主張する主権免除(Sovereign Immunity)の問題でした。被告企業らは、中国政府が所有・支配する国有企業であることを理由に、米国の裁判所には彼らを訴追する管轄権がないと主張しました。

具体的には、Pangang Group社は中国の国有資産監督管理委員会(State-Owned Assets Supervision and Administration Commission、以下「SASAC」)によって支配されている国有企業であり、SASACは中国の最高政府機関である国務院の直接管理下にある特別政府機関であると主張しました。他の被告企業も、直接または間接的にPangang Group社の子会社であり、したがって同様に中国政府の支配下にあると主張しました。

訴訟は複数の段階を経て、最終的に外国主権免除法(Foreign Sovereign Immunities Act、以下「FSIA」)の適用可否から、連邦コモンロー(Federal Common Law)に基づく主権免除の主張へと争点が移行しました。これは、最高裁判所が Turkiye Halk Bankasi A.S. v. United States 事件で、FSIAは刑事訴追に適用されないとの判断を下したことによるものです。

法的分析

本事件の核心は、国有企業がどのような条件の下で主権免除を主張できるかという問題にありました。第9巡回区の判断は、国有企業の法的位置づけと責任の範囲に関する重要な指針を提供しています。

主権免除に関する最高裁判所の判断

訴訟が進行中の2023年、米国最高裁判所は Turkiye Halk Bankasi A.S. v. United States 事件において、FSIAではなくコモンローが刑事訴追における外国国家とその機関の主権免除を規律するとの重要な判断を下しました。この判決により、Pangang Group社らの主権免除の主張はFSIAではなく、連邦コモンローに基づいて評価されることになりました。

第9巡回区は、最高裁判所の判決を引用しつつ、連邦裁判所が18 U.S.C. § 3231に基づき、外国国家とその機関に対する刑事事件について管轄権を有することを確認しました。そして、主権免除の抗弁はFSIA以前のコモンロー基準に基づいて評価されるべきだと述べました。

この判断は、国際法における主権免除の進化を反映したものです。かつては絶対的主権免除(Absolute Sovereign Immunity)が一般的でしたが、1952年の「テイト・レター(Tate Letter)」以降、米国は制限的主権免除(Restrictive Sovereign Immunity)の理論を採用し、商業的行為に対しては免除を認めない方向へと移行してきました。

国有企業の免除資格に関する判断基準

第9巡回区は、連邦コモンローの下で外国主権免除(foreign sovereign immunity)を享受するためには、少なくとも二つの条件を満たす必要があるとしました:

  1. まず、免除を受ける資格のある種類の主体でなければならない(免除の対象範囲)
  2. 次に、問題となっている行為が、その主体に付与される免除の範囲内でなければならない(免除の範囲)

第9巡回区は、第二次対外関係法リステイトメント(Restatement (Second) of Foreign Relations Law)第66条(g)項を適用し、「国家の機関に匹敵する機能を行使している」企業のみが主権免除の対象となると判断しました。重要なのは、外国政府による所有や支配だけでは、主権免除を主張するには不十分であるという点です。

第9巡回区は、「政府が法人を所有・支配しているという事実だけでは、その法人を主権免除の範囲内に含めるには不十分である」と述べました。外国国家所有の企業が通常の商業活動に従事している場合、それは政府機能ではないため、主権免除は適用されないというわけです。

商業的活動としての経済スパイ行為

Pangang Group社らは、DuPont社の企業秘密窃取がスパイ技術を用いた主権行為であり、中国の公共目標を達成したと主張しましたが、第9巡回区はこの主張を退けました。

第9巡回区は、すべてのスパイ行為が必ずしも主権的性質を持つわけではないと指摘しました。Broidy Capital Management LLC v. State of Qatar 事件を引用し、国家による秘密工作員の展開と情報収集は「主権者に特有の権限」であるとした一方で、「商業的ライバル」の企業秘密を盗み、それをライバルに対して使用することは、本質的に異なる行為であるとしました。

本事件で主張されている商業スパイ行為は、後者に近いものです。起訴状から明らかなように、盗まれた情報は商業的利益のために求められ、使用されたものでした。たとえその商業的利益が中国政府の公的に特定された優先事項である塩素法による二酸化チタン生産技術の開発に役立ったとしても、それだけでは国家機関に匹敵する機能の行使とは見なされないのです。

また、第9巡回区は、In re Investigation of World Arrangements 事件と区別しました。この事件では、アングロ・イラニアン石油会社がブリティッシュ艦隊への石油供給を確保するという「根本的な政府機能」を果たしていたため、主権免除が認められました。これに対し、Pangang Group社らは通常の商業活動に従事しており、排他的な国家財産の管理や規制権限の行使といった要素を欠いていました

実務への影響

本判決は、国際的な営業秘密保護と国有企業の法的責任に関する重要な先例となります。特許・営業秘密実務に携わる専門家にとって、この判決が持つ実務的な意義は大きいでしょう。

特許・営業秘密訴訟実務への示唆

本判決は、国有企業との訴訟における管轄権主張の戦略に重要な示唆を与えています。国有企業が単に政府所有であるというだけでは主権免除の保護を受けられないという原則が確立されたことで、知的財産権者は国有企業による侵害に対してより積極的に法的手段を講じることができるようになりました。

実務上のポイントとしては、国有企業の活動が商業的性質を持つことを立証することが重要になります。その際、以下の要素を考慮すべきでしょう:

  1. 企業の設立目的と活動内容
  2. 政府からの独立性の程度
  3. 政府の財政的支援レベル
  4. 雇用政策
  5. 国家法の下での義務と特権

また、国有企業が関与する経済スパイ事件では、スパイ活動が商業的利益を目的としているのか、それとも主権的機能の一部なのかを区別することが重要です。その際、盗まれた情報の使用目的や、それが国家安全保障に直接関わるものかどうかといった点が考慮されます。

国際的な産業スパイ対策

グローバルに事業を展開する企業にとって、国有企業からの営業秘密保護は喫緊の課題です。本判決を踏まえ、以下のような対策が重要になるでしょう:

  1. 営業秘密の特定と重要度の分類
  2. アクセス制限と秘密管理体制の強化
  3. 従業員の教育と意識向上
  4. 国有企業との取引における契約上の保護措置
  5. 国際的な法的保護メカニズムの活用

特に注目すべきは、国有企業との取引における注意点です。技術ライセンスや合弁事業を検討する際には、相手企業の政府との関係性を慎重に評価し、適切な保護措置を講じる必要があります。また、営業秘密の侵害が疑われる場合には、相手が国有企業であっても、主権免除の抗弁が必ずしも認められないことを念頭に置いた法的戦略を検討すべきでしょう。

行政府の判断と司法判断の関係

本判決では、外交関係に触れる問題に関する政治部門への敬譲(Deference)の原則も重要な要素となりました。第9巡回区は、主権免除に関する行政府の判断が司法判断に影響を与えることを認めています。

歴史的に、外国主権免除の申立ては行政府、特に国務省からの「免除の示唆(Suggestion of Immunity)」に基づいて処理されてきました。裁判所は外交的配慮から、こうした示唆に敬譲を示す傾向にありました。

本事件では、米国政府が13年にわたってPangang Group社らに対する訴追を継続してきたことが、行政府が彼らに主権免除を認めないという判断を示していると解釈されました。こうした行政府の判断は、「外交関係に触れる問題に関する政治部門への敬譲」の原則に基づき、裁判所の判断に影響を与えました。

これは実務上、国有企業に対する訴訟戦略において、米国政府の立場を考慮することの重要性を示しています。特に、国家安全保障や外交政策に関わる問題では、行政府の意向が司法判断に大きな影響を与える可能性があります。

まとめ

U.S. v. Pangang Group Co., Ltd. 事件における第9巡回区の判断は、国有企業による経済スパイ行為と主権免除の関係に重要な指針を与えました。国有企業が単に政府所有であるというだけでは主権免除の保護を受けられず、その活動が政府機能に匹敵するものでなければならないという原則が確立されました。

営利目的の経済スパイ行為は、たとえ国家政策に貢献するものであっても、根本的な政府機能とは見なされないという判断は、国際的な知的財産保護の強化に大きく貢献するものです。この判決により、国有企業による知的財産侵害に対して、より効果的な法的対抗手段を講じることが可能になりました。

本判決は、急速にグローバル化する知的財産の世界において、国家と企業の境界が曖昧になる中での法的判断の指針となるでしょう。特許・営業秘密実務家は、この判決を踏まえ、国有企業との取引や紛争において、より戦略的なアプローチを取ることが求められています。国際的な知的財産保護の枠組みが進化する中、本判決はその重要な一歩となることは間違いありません。

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