バイオテクノロジーの実施可能要件(enablement)のさじ加減は業界を分断する問題で、現時点では実施可能要件のハードルは高めです。そのため、特許の有効性を保つためにも属性クレーム(genus claims)は、明細書の中で具体的なデータによって可能な限りサポートされている必要があり、可能であれば必要な実験の量を制限するべきでしょう。
判例:Idenix Pharmaceuticals LLC v. Gilead Sciences Inc.(941 F.3d 1149 (Fed. Cir. 2019))
25億ドルの賠償金がゼロに…
Idenix の連邦地裁の訴訟において、陪審員はIdenix特許が侵害されていると判断し、25億ドルの損害賠償を命じました。しかし、連邦地裁は陪審員の決定を覆し、特許の実施可能要件の欠如を理由に特許が無効であるとする判決を下し、連邦巡回控訴裁も地裁の判決を支持。Idenix社は、損害賠償請求を復活させるために、連邦巡回控訴裁判所の判決を覆すための嘆願書を提出しましたが、最高裁がこれを却下したので、掴みかけていた25億ドルの賠償金がゼロになってしまいました。
バイオテクノロジーの実施可能要件は厳しすぎる?
Idenixで、連邦巡回控訴裁は、開示された機能制限(functional limitations)を満たすために化合物を合成したり、スクリーニングしたりするのに過剰な実験(undue experimentation)が必要なため、特許は実施可能要件(enablement requirement)を欠いているとして無効であると判断しました。
バイオテクノロジーの文脈に適用すると、実施可能性の範囲は「関与する要因の予測不可能性の程度に反比例して変化する」(941 F.3d at 116 116)という判例があります。Idenix の特許は、医療用に修飾ヌクレオシド化合物を使用したものであり、連邦巡回控訴裁は、そのような化合物を使用することは、「わずかな変化が、その化合物の活性だけでなく、その化合物の毒性にも劇的な影響を与える可能性がある」という、非常に予測不可能性の高い技術であると指摘していました。
さらに、裁判所は、潜在的なヌクレオシドは数十億存在するが、標的疾患を効果的に治療できる候補化合物は少数であると認識。潜在的な有効な化合物の数と潜在的な化合物の数との間に大きな格差があったことから、連邦巡回控訴裁は、特許請求の範囲の全範囲を実施することは、そのような実験が日常的なもの(routine)とみなされるかどうかにかかわらず、過剰な実験を必要とすることになるため、過剰な実験が必要であると判断しました。
適切な実施可能要件のさじ加減とは?
バイオテクノロジーの場合、原理がまだ解明されていないものも多いので、特許でクレームされている発明の実施を可能にするためにどれだけの実験が必要かは大きな問題になります。
今回のIdenixの判例を批判する派閥は、現行の実施可能要件は厳しすぎ、特にバイオテクノロジーのような予測不可能な技術では遵守することは不可能であるとの立場をとっています。実施可能要件のハードルが高すぎると、本来は日常的な実験(routine experimentation)でさえも過剰な実験(undue experimentation)とみなされる可能性を指摘。そのため、権利化できる範囲が大幅に限定されてしまうので、新たな化学構造を開発する動機が失われると懸念を示しています。
一方で、Idenix の判例を支持する派閥は、現行の実施可能要件は、特許権者が発明した以上のものを独占する行為を防止していると主張。明細書内ではごく一部の開示しかなされていないのに、それを一般化した属性クレーム(genus claims)を特許権者に与えてしまうリスクを回避するために正しい判例だと指摘しました。不適切な独占を防ぎ、そのことによって、後発でも新たな化学構造を開発するチャンスを得ることがあるという考え方です。
具体的なデータと実験の量を明確に
「実施可能要件を満たすのにどれくらいの記載が明細書に必要か」という質問は、技術分野、通常の技能を有する者(PHOSITA)の定義、その時の実施可能要件の判例やトレンド、判事などで変わってきます。
しかし、将来の特許の有効性を維持するためにも、クレームは出願時に明細書の中で具体的なデータによって可能な限り裏付けられ、理想的には必要な(日常的な)実験の量を制限するべきでしょう。この点は、早期に出願する傾向のある大学や小規模なバイオテクノロジー企業にとっては特に課題となります。そのような特許出願をする代理人は、将来の実施可能要件の挑戦を見据えた必要なデータと出願の時期を正しく見極める必要があります。
参考記事:“Supreme Court Declines to Hear Idenix Case: Dispute Surrounding the Enablement Standard for Biotechnology Patents Continues” by Lisa M. Mandrusiak and Elissa L. Sanford. Oblon