はじめに
2025年4月、米国マサチューセッツ州連邦地方裁判所は、インスリンパッチポンプに関する営業秘密侵害訴訟であるInsulet v. EOFlow事件において、医療機器業界と知的財産法に大きな影響を与える注目すべき判決を下しました。この地方裁判所の判断は、営業秘密保護法(Defend Trade Secrets Act、以下「DTSA」)の執行力を示すとともに、特許法と営業秘密保護の交錯領域における重要な事例となりました。
本件では、陪審団がEOFlow社による複数の営業秘密侵害を認定し、4億5,200万ドルという巨額の損害賠償を命じました。さらに裁判所は、全世界的な差止命令と、営業秘密に由来する特許出願の譲渡命令という異例の救済措置を認めました。最終的な損害賠償額は約5,940万ドルに調整されましたが、この判決の影響力は金銭的価値をはるかに超える可能性があります。特に注目すべきは、営業秘密侵害に基づいて特許出願の譲渡が命じられた点です。この判断は、特許実務家にとって重要な示唆となります。他社の営業秘密に基づく技術を特許出願することのリスクが示されただけでなく、DTSAに基づく救済措置の範囲が従来の想定を超えて拡大する可能性を示唆しています。
本稿では、この地方裁判所判決の詳細を分析し、企業の知的財産戦略や特許実務に与える可能性のある影響について考察します。医療機器分野における技術開発競争が激化する中、営業秘密と特許を組み合わせた効果的な保護戦略の重要性はますます高まっています。
事件の背景
当事者と製品
原告のInsulet Corporation(以下「Insulet社」)は、マサチューセッツ州に本社を置く医療機器メーカーで、糖尿病患者向けのパッチ型インスリン投与システム「Omnipod」を開発・販売しています。Omnipodは、複数回の注射が不要で、血糖値モニターと連携してインスリン投与を自動管理できる革新的な製品です。
被告のEOFlow Co., Ltd.(以下「EOFlow社」)は韓国の医療機器メーカーで、競合製品「EOPatch 2」を開発した企業です。その他の被告には、EOFlow社のCEOであるJesse Kim氏、EOFlow Inc.(米国子会社)、Nephria Bio, Inc.、そして元Insulet社の従業員3名(Luis Malave氏、Steven DiIanni氏、Ian Welsford氏)が含まれていました。
本件の特徴的な事実として、EOFlow社は元Insulet社の役員や従業員を雇用し、さらにInsulet社と同じ契約製造業者(contract manufacturer)を使用して製品開発を進めていました。また、EOFlow社はOmnipodとの「実質的同等性」(substantial equivalence)に基づき、米国食品医薬品局(FDA)から迅速な510(k)承認(expedited 510(k) clearance)を求めていた点も重要です。
技術的要素と営業秘密
本件で問題となったのは、Insulet社が5年以上の研究開発と数億ドルの投資により開発した、以下の4つの営業秘密です:
- CADファイル:製品の精密な設計図面と3Dモデルデータ
- ソフトカニューレ:皮下組織へのインスリン注入を可能にする柔軟な注射針の設計
- オクルージョン検出アルゴリズム(ODA):インスリン注入経路の閉塞を検知する重要安全機能
- 設計履歴ファイル(DHF):製品開発全体の文書記録と規制対応の履歴
医療機器分野では、こうした技術情報は製品の安全性と性能に直結するため、特に高い価値を持ちます。また、医療機器開発においては、FDA承認プロセスを短縮するために競合他社の技術を「実質的同等性」(substantial equivalence)に基づいて活用したいという誘因が働きやすいという特徴があります。この「実質的同等性」とは、新製品が既存の承認済み製品(プレディケートデバイス)と同等の安全性と有効性を持つことを示すFDAの510(k)承認プロセスの中核概念です。新規医療機器メーカーにとって、既存製品と「実質的に同等」と認められれば、臨床試験などの厳格な審査を回避でき、市場参入までの時間とコストを大幅に削減できるため、競合他社の技術情報を入手して類似製品を開発する強い経済的インセンティブが生じます。このような規制環境が、本件のような営業秘密侵害リスクを高める要因となっています。
訴訟の経過
主な法的争点
本訴訟における主要な法的争点は以下の通りです:
- 営業秘密の保護適格性と定義の明確性:被告側は、Insulet社の主張する営業秘密が不明確であり、保護に値しないと主張しました。裁判所は、Insulet社の営業秘密が十分に特定されており、一般的に知られておらず、独立した経済的価値を有するものであると認定しました。
- 故意性・悪意の認定基準:DTSAでは、「故意かつ悪意による」(willful and malicious)営業秘密の不正取得に対しては、通常の損害賠償額の最大2倍の懲罰的損害賠償を認めています。本件では、EOFlow社とその代表者の故意性・悪意が認定されました。
- 時効の適用(探知基準(inquiry notice)vs発見基準(discovery rule)):被告側は、Insulet社の請求が時効により制限されていると主張しましたが、裁判所はDTSAの時効規定が「探知基準(inquiry notice)」ではなく「発見基準(discovery rule)」に基づくとし、被告の主張を退けました。この解釈は、米国最高裁のMerck & Co. v. Reynolds事件(2010年)の理論に基づいています。
証拠と専門家証言
本訴訟では、以下のような証拠や専門家証言が重要な役割を果たしました:
専門家証言の評価:Insulet社の専門家Lane Desborough氏は、問題となった特許出願がInsulet社のオクルージョン検出アルゴリズム(ODA)の営業秘密を含んでいると証言しました。一方、被告側の専門家Boris Leschinsky氏のOmnipodのリバースエンジニアリングに関する証言は信頼性に欠けると評価されました。
「ヘッドスタート」理論:損害賠償額の算定において、被告が営業秘密の不正利用によって得た「ヘッドスタート」(時間的優位)を金銭的に評価する理論が適用されました。Insulet社の損害賠償専門家Justin McLean氏は、EOFlow社が営業秘密の不正取得により約4年間の開発期間短縮という利益を得たと評価しました。
市場価値理論と回避コスト算定:損害額算定のもう一つの手法として、営業秘密の市場価値と、EOFlow社が独自開発で要したはずの研究開発コストの回避分が考慮されました。特に注目すべきは、回避コストの算定が、差止命令と併存可能な損害として認められた点です。
裁判所の判断
陪審の評決
2024年12月3日、陪審団は、Malave氏を除く6名の被告に対して、DTSAに基づく営業秘密の不正取得を認定しました。陪審は、以下の損害賠償を認めました:
- 不当利得に基づく損害賠償:1億7,000万ドル
- 懲罰的損害賠償:2億8,200万ドル(故意かつ悪意による不正取得の認定に基づく)
- 総額:4億5,200万ドル
陪審は、EOFlow社とKim氏が「故意かつ悪意をもって」営業秘密を不正取得したと認定しました。この認定は、後の懲罰的損害賠償と差止命令の範囲に重大な影響を与えました。
差止命令と救済措置
判決後、裁判所はInsulet社の恒久的差止命令の申立てを認め、以下の救済措置を命じました:
全世界的な恒久的差止命令:EOFlow社およびその関係者に対し、世界中でInsulet社の営業秘密を使用、所持、販売、または配布することを禁止しました。裁判所は、DTSA(18 U.S.C. § 1837)が明確に全世界的な差止命令を認めていることを指摘し、主要な被告の米国市民権や米国内での不正行為に基づいて管轄権を認めました。
特許出願の譲渡命令:裁判所は、営業秘密から派生した特許出願(US 2023/0248902A1)および同様の発明を開示する他の特許出願の譲渡をEOFlow社に命じました。裁判所はこの判断において、「営業秘密の不正取得の被害者は、その営業秘密に基づいて侵害者が取得した特許の所有権を得る権利がある」という法理を適用しました。
損害賠償額の調整:裁判所は、差止命令と元の損害賠償額の一部が重複する救済を構成するとし、最終的な損害賠償額を5,940万ドル(回避コスト2,580万ドルと懲罰的損害賠償3,360万ドル)に調整しました。これは「二重回復の回避」という法原則に基づいています。
特に注目すべきは、裁判所が「営業秘密が実際にリバースエンジニアリングできるという証拠はほとんどない」として、差止命令に期間制限を設けなかった点です。被告側の主張する3.5年間の「ヘッドスタート」期間に基づく時間制限は認められませんでした。
国際的影響と関連訴訟
本事件の影響は米国にとどまらず、国際的な広がりを見せています:
UPC(統一特許裁判所)での関連訴訟:Insulet社とEOFlow社の争いは欧州においても展開され、UPC控訴裁判所はInsulet社の特許(EP4 201 327)に基づき、EOFlow社に対してUPC管轄地域内での販売禁止命令を出しました。
国際的な営業秘密保護の執行メカニズム:本件は、米国のDTSAが国境を越えた執行力を持つことを実証しました。特に全世界的差止命令の実効性は、各国の司法制度間の協力と認識に依存します。
異なる法域間の判決の整合性:本件では米国での営業秘密訴訟と欧州でのUPC訴訟が並行して進行し、それぞれの法域で異なる法的根拠に基づく保護が模索されました。このような複数法域での多面的な法的アプローチは、国際的な知的財産保護戦略において重要な示唆を与えています。
法的分析
DTSAの救済措置の範囲と有効性
本事件は、DTSAに基づく救済措置の範囲と有効性を示す重要な事例となりました:
全世界的差止命令の法的根拠:裁判所はDTSA(18 U.S.C. § 1837)に基づき、以下の要件のいずれかを満たす場合に全世界的差止命令が可能であるとしました:
- 侵害者が米国市民または米国法に基づき設立された組織である場合侵害行為の一部が米国内で行われた場合
本件では、Kim氏が米国市民であり、EOFlow Inc.とNephria Bioが米国で設立された企業であること、また複数の侵害行為が米国内で行われたことから、韓国企業であるEOFlow社に対しても全世界的差止命令が認められました。
特許譲渡命令の法的根拠:裁判所は、Whiteside Biomechanics, Inc. v. Sofamor Danek Grp., Inc.事件およびEthicon Endo-Surgery, Inc. v. Crescendo Techs., LLC事件を引用し、「営業秘密の不正取得の被害者は、その営業秘密に基づいて侵害者が取得した特許の所有権を得る権利がある」という原則を適用しました。これにより、営業秘密が化体された特許出願の譲渡が命じられました。
懲罰的損害賠償と避けられたコスト:裁判所は、差止命令と共存可能な損害賠償として、被告が営業秘密の不正取得により回避した研究開発コスト(2,580万ドル)と、その2倍を上限とする懲罰的損害賠償(3,360万ドル)を認めました。重要なのは、「懲罰的損害賠償は過去の不正行為を罰するためのもの」であり、「差止命令は将来の特定の危害を防止するための救済手段」であるため、両者は重複しないという判断です。
特許と営業秘密の交錯
本事件は、特許と営業秘密の保護が交錯する場面における重要な法的示唆を提供しています:
営業秘密から派生した特許の取り扱い:裁判所は、営業秘密を不正に取得した者が、その営業秘密に基づいて取得した特許は、営業秘密の正当な保有者に帰属すべきであるという原則を確認しました。これは、不正行為者が不正により利益を得ることを防ぐための衡平法上の救済措置です。
特許出願における営業秘密の開示リスク:本件は、競合他社の営業秘密を特許出願に組み込むことの法的リスクを浮き彫りにしました。特許出願は公開されるため、営業秘密の不正取得の証拠として機能する可能性があります。
知的財産保護戦略における営業秘密と特許の使い分け:本事件からは、革新的技術を保護する際の戦略として、特許と営業秘密の適切な使い分けの重要性が示唆されます。特に医療機器分野では、規制承認プロセスを短縮するために「実質的同等性」に基づく申請が行われることが多く、技術情報の流出リスクが高まります。
実務上の示唆
企業の防御戦略
本事件から企業が学ぶべき防御戦略には、以下のようなものがあります:
移動する従業員の管理と情報流出防止対策:従業員が競合他社に移る際の情報流出リスクを最小化するための施策が重要です。退職時の厳格な手続き、秘密保持契約の締結、競業避止義務の設定などが考えられます。
営業秘密管理体制の構築と証拠保全:営業秘密として保護するためには、その情報の秘密性を維持するための合理的な措置を講じる必要があります。アクセス制限、秘密表示、教育訓練などの施策を文書化し、証拠として保全することが重要です。
競合分析と侵害検知の方法:競合製品の監視と分析は、営業秘密侵害の早期発見に役立ちます。本件でInsulet社は、EOFlow社の製品サンプルを入手・分析し、類似性を発見したことが訴訟の契機となりました。また、競合他社の特許出願や規制当局への申請内容も重要な情報源となります。
特許弁理士の役割と責任
特許弁理士にとって、本事件から得られる教訓は多岐にわたります:
営業秘密に基づく特許出願の倫理的問題:クライアントから受領した技術情報の出所について適切な確認を行い、他社の営業秘密に基づく可能性がある場合には、リスク評価と適切な助言を行うことが重要です。
デューデリジェンスの重要性:企業買収や技術提携の際には、対象企業の知的財産の由来について十分な調査を行うことが必要です。本件では、Medtronic社がEOFlow社の買収を計画していましたが、Insulet社の訴訟により中止されました。
クライアントへの助言と戦略的リスク管理:特許と営業秘密の適切な組み合わせによる保護戦略の提案、営業秘密侵害のリスクがある場合の対応策の助言など、法的リスクを最小化するための戦略的なアドバイスが求められます。特に、元従業員がもたらした情報に基づく特許出願については、慎重な対応が必要です。
結論
Insulet v. EOFlow事件は、DTSAに基づく営業秘密保護の強力な効果を示す重要な先例となりました。全世界的差止命令、特許譲渡命令、そして実質的な金銭的制裁という総合的な救済措置は、営業秘密侵害に対する強力な抑止力となります。
特許弁理士や知財実務家にとって、本事件は以下の重要な教訓を提供しています:
- 営業秘密と特許は相互補完的な保護手段であり、適切に組み合わせることで最大限の保護が可能になります。
- 営業秘密の不正取得は、その営業秘密に基づいて取得した特許の喪失につながる可能性があります。
- 国際的な事業展開においては、各国の知的財産法制の違いを理解し、統合的な保護戦略を構築することが重要です。
今後も医療機器やその他の技術集約型産業では、従業員の移動や企業間競争に伴う知的財産の流出リスクが高まると予想されます。特許実務と営業秘密保護の戦略的統合によって、イノベーションの適切な保護と公正な競争環境の維持が図られることが期待されます。