はじめに
2025年3月7日、AliveCor v. Appleにおいて、連邦巡回控訴裁判所(United States Court of Appeals for the Federal Circuit、以下「CAFC」)は、AliveCor社が保有する心臓モニタリング技術に関する三つの特許をすべて無効としました。この判決は、Apple社のスマートウォッチに対する米国国際貿易委員会(International Trade Commission、以下「ITC」)の輸入禁止命令を事実上覆す結果となり、医療技術とウェアラブルデバイス業界に大きな影響を与えています。
AliveCor v. Apple事件は、単なる特許紛争を超えて、特許法の重要な課題を浮き彫りにした事例として注目を集めています。本件では、特許権者が勝訴したITC手続きと、特許を無効とした特許審判部(Patent Trial and Appeal Board、以下「PTAB」)の判断が衝突し、複数の法的手続きが並行して進められた点が特徴的です。このような状況における法的処理は、今後の類似事例において重要な先例となるでしょう。
また、本件で争われた機械学習アルゴリズムを用いた医療診断技術の特許性判断も注目すべき点の1つです。AI技術の急速な発展に伴い、機械学習特許の権利範囲と有効性の評価は、今後ますます重要性を増していくと考えられます。また、並行訴訟における証拠開示問題も重要な論点となり、特許実務家にとって参考となる判断が示されています。
本稿では、この画期的な判決の背景、争点、そして実務的影響について詳しく分析していきます。
事件の背景
当事者の概要
AliveCor社は、AI技術を活用した心臓モニタリングデバイスと関連ソフトウェアを開発する医療技術企業です。同社は、スマートウォッチと連携して心電図(Electrocardiogram、以下「ECG」)測定を行う「KardiaBand」などの製品を開発していました。
Apple社は、Apple Watchをはじめとするスマートウォッチを開発・販売する大手テクノロジー企業で、Series 4以降のApple Watchには心拍モニタリングやECG機能を搭載しています。
対象特許
本件で問題となったのは、AliveCor社が保有する以下の3件の米国特許です。
- 米国特許第9,572,499号(以下「’499特許」)
- 米国特許第10,595,731号(以下「’731特許」)
- 米国特許第10,638,941号(以下「’941特許」)
これらの特許は、心臓不整脈(不整脈)検出技術に関するもので、光電容積脈波記録法(Photoplethysmography、以下「PPG」)センサーによる心拍データ収集と、機械学習アルゴリズムを用いた分析、そしてECGによる確認技術の組み合わせを特徴としています。
具体的には、これらの特許はスマートウォッチに搭載されたPPGセンサーが心拍データを継続的に収集し、そのデータをスマートフォンに送信して分析し、不整脈の可能性が検出された場合にユーザーに通知して追加のECG測定を促すシステムを対象としています。
並行訴訟プロセス
本件は、複数の法的手続きが並行して進められた点が特徴的です。
2021年4月20日、AliveCor社はITCに対して申立てを行い、Apple社のApple Watchが自社特許を侵害しているとして、輸入禁止命令(Exclusion Order)を求めました。ITCは同年5月26日に調査(337-TA-1266)を開始しました。
その直後の2021年6月9日、Apple社はPTABに対して当事者系レビュー(Inter Partes Review、以下「IPR」)を申し立て、AliveCor社の特許の無効を主張しました。PTABは同年12月8日にIPR2021-00971を開始しました。
ITCの行政法判事(Administrative Law Judge、以下「ALJ」)は2022年6月27日に初期決定を下し、Apple社の特許侵害を認定するとともに、特許の有効性も支持しました。しかし、ITCはPTABの最終判断を待つために、輸入禁止命令の執行を停止しました。
2022年12月、PTABはAliveCor社のすべての特許クレームを自明性(obviousness)に基づき無効とする最終決定を下しました。この判断に対してAliveCor社はCAFCに上訴しましたが、2025年3月7日、CAFCはPTABの判断を支持し、特許の無効性を確定させました。また同日、CAFCはITC事件に関する別の判決を下し、特許が無効とされた以上、ITCの輸入禁止命令は無効であるとして、事件を却下するよう命じました。
連邦巡回裁判所の判決分析
自明性の判断
CAFCは、Apple社が提示した先行技術の組み合わせが、問題となった特許クレームを自明としたPTABの判断を支持しました。特に重要だったのは以下の先行技術文献です。
Hu 1997: ECG信号の分類のためのコンピュータアルゴリズムの開発に関する文献。この文献は、患者特有のECGデータと大規模なECGデータベースに基づく混合専門家(mixture-of-experts、MOE)方式の機械学習アルゴリズムについて説明しています。
Li 2012: 集中治療室での誤った不整脈警告を減らすための機械学習アプローチに関する文献。複数の生体データ(ECG、PPG等)から抽出された特徴を組み合わせた機械学習フレームワークを提案しています。
Shmueli: 心臓関連の不規則イベントを検出した際にECG測定をトリガーする組み合わせシステムに関する特許文献。PPGセンサーとECGセンサーを組み合わせた手首装着型の心臓モニタリングデバイスを開示しています。
PTABとCAFCは、これらの先行技術の組み合わせにより、問題となった特許の主要な側面、特に「機械学習による不整脈検出」と「ECGによる確認」の技術的特徴が自明であると判断しました。
AliveCor社は、Hu 1997とLi 2012は不整脈検出以外の文脈でのみ機械学習を開示していると主張しましたが、PTABはこの主張を退け、「データソースの違い(ECGかPPGか)は、性能向上と検出精度の向上という利点を踏まえれば、当業者が機械学習を適用することを妨げるものではない」と判断しました。
また、「確認(confirm)」ステップに関して、PTABはShmueli文献が実質的にこの機能を開示していると判断しました。ShmuelihはPPGデータに基づいて不整脈を検出した後、ECGデータを用いてその存在を確認するプロセスを示しており、これはAliveCor社特許の「確認」ステップに相当すると判断されました。
重要な法的論点
KSR基準の適用
CAFCは、KSR判決で確立された重要な原則を再確認しました。この原則は「当業者は単なる自動機械ではない」というもので、当業者は先行技術の教示を柔軟に解釈し、新しい用途に応用する能力を持っているとされています。この原則に基づき、CAFCは当業者が機械学習技術を特定の用途に適応させる能力を認めました。
CAFCは、「先行技術は、その主要な目的を超えて、その教示するすべてについて読まれ得る(A reference may be read for all that it teaches, including uses beyond its primary purpose)」というIn re Mouttet, 686 F.3d 1322, 1331 (Fed. Cir. 2012)の先例も引用し、Hu 1997やLi 2012が特定の文脈で機械学習を開示していたとしても、それらの教示をPPGデータに適用することは当業者にとって自明であるとの判断を支持しました。
二次的考慮事項と証拠開示義務
本件の特徴的な点として、ITC手続きにおいてApple社が提出した二次的考慮事項に関する内部文書が、PTAB手続きでは提出されなかった問題があります。二次的考慮事項とは、特許の非自明性を証明するための補助的な証拠で、以下のような要素を含みます:
- 商業的成功:特許技術が市場で成功を収めていること
- 業界の賞賛:専門家や業界からの高い評価
- 模倣:他社による技術の模倣や採用
- 長年の未解決の問題の解決:その技術が業界の課題を解決したこと
Apple社がITC手続きでこれらの文書を提出した理由は、AliveCor社の特許が自明であることを示すためではなく、むしろ特許侵害の有無を判断する際の参考資料としてでした。しかし、これらの文書は特許の非自明性を示す証拠としても活用できる可能性がありました。
AliveCor社は、これらの文書が自社の特許の有効性を支持する証拠となり得ると考え、IPR手続きでも提出するようApple社に要求しました。しかし、Apple社はこの要求を拒否しました。
AliveCor社はCAFCへの上訴において、Apple社がITC手続きで提出したこれらの内部文書をIPR手続きでも提供すべきだったと主張しました。しかし、CAFCはこの主張を「放棄された(forfeited)」と判断しました。その理由は、AliveCor社がIPR手続き中にPTABに対してこの問題を適切に提起しなかったためです。
具体的には、AliveCor社は以下の対応が不十分でした:
- PTABに対して証拠開示命令を正式に請求しなかった
- ITCのALJの初期決定が公開された後も、その内容をPTABに提示しなかった
- 問題を上訴審で初めて提起した(「機会を逃せば失う」という原則に抵触)
この失敗により、AliveCor社は特許の有効性を支持する重要な証拠を活用する機会を失うことになりました。これは、並行訴訟における戦略的な証拠の活用の重要性を示す教訓となっています。
判決の実務的影響
特許実務への影響
本判決は、機械学習技術を用いた医療診断機器の特許実務に重要な示唆を与えています。
まず、機械学習特許の記載方法と権利化戦略において、汎用的な機械学習アルゴリズムの使用だけでは特許性を確保するのが難しいことが示されました。本件では、AliveCor社の特許は機械学習の使用を高レベルの一般性で記載しており、特定のアルゴリズムを要求していませんでした。このような広範な記載は、先行技術との差別化を困難にする可能性があります。
また、明細書記載の重要性と請求項限定の教訓としては、特許で「確認」ステップを主張する場合、その技術的詳細を明細書に十分に記載することの重要性が示されました。本件では、「確認」ステップが明細書で詳細に説明されておらず、これがPTABとCAFCによる広い解釈を可能にし、結果として先行技術との差別化が困難になりました。
訴訟戦略への影響
並行訴訟における戦略面では、本判決は複数の重要な教訓を提供しています。
まず、IPRとITC/地裁訴訟が並行して進行する場合、各手続きで提出された証拠を相互に活用する重要性が強調されました。本件では、ITC手続きで有効だった二次的考慮事項の証拠がIPR手続きでは効果的に活用されませんでした。
また、証拠開示についての紛争がある場合、適切なタイミングで審判機関に問題を提起することの重要性も明らかになりました。「機会を逃せば失う」という原則が適用されるため、当事者は証拠開示の問題を即座に提起する必要があります。
さらに、本件は争点保全の重要性を示しています。CAFCは、PTABでの手続き中に提起されなかった問題は上訴で検討される可能性が低いことを再確認しました。
技術業界への影響
ウェアラブル医療機器市場への影響としては、Apple社の勝訴により、同社のApple Watchの心臓モニタリング機能は継続して米国市場に提供されることになります。これは、健康モニタリング機能を搭載したウェアラブルデバイス市場の競争を促進する効果を持つでしょう。
また、大手テクノロジー企業と医療技術スタートアップの競争という観点からは、本件はテクノロジー大手が医療機器市場に参入する際の特許戦略の重要性を示しています。医療技術特許の取得と防御は、この急成長市場での競争において重要な要素となっています。
今後の展望
特許法の発展方向
本判決はRESTORE法案(Reasonable and Safe Technology for Our Rights and Exports Act)と差止命令の基準に関する議論にも影響を与える可能性があります。RESTORE法案は、ITCの輸入禁止命令の執行をPTABの判断が確定するまで自動的に停止することを提案する法案です。本件では、ITCがPTABの判断を待って輸入禁止命令の執行を停止したことは、特許無効性判断と差止命令の関係について示唆的です。特に、PTABによる特許無効判断が確定する前に輸入禁止命令が執行されることによる不利益を防ぐというRESTORE法案の目的と、本件でのITCの対応は整合性があると言えます。
特許審査官、ITC、地裁、CAFCの間での調整メカニズムも今後の課題となるでしょう。本件では、ITCとPTABの判断が異なる結果となり、最終的にはCAFCが調整役を務めることになりました。今後、このような並行手続きの調整がより体系的に行われる仕組みが発展する可能性があります。
技術革新への影響
医療機器における機械学習技術の今後については、本判決は機械学習特許の有効性に関する重要な先例となります。特許権者は、単に機械学習の使用を主張するだけでなく、より具体的かつ技術的な改良を明確に特定する必要があることが示されました。
また、特許保護と技術革新のバランスという観点からは、本判決は汎用的な技術の適用に対する特許保護の限界を示しています。特許システムは革新的な発明を保護する一方で、基本的な技術の応用を過度に制限しないよう設計されており、この判決はそのバランスを反映しています。
まとめ
AliveCor v. Apple事件は、特許無効性判断とITC輸入禁止命令の関係、機械学習特許の権利範囲と有効性、そして並行訴訟における証拠開示と争点保全の重要性について重要な法的教訓を提供しています。
特許実務者への提言としては、機械学習特許においては具体的な技術的改良を明確に特定し、明細書に十分な裏付けを提供することの重要性が挙げられます。また、並行訴訟における戦略的な証拠の活用と、適切なタイミングでの争点提起の重要性も強調されます。
技術と法の交差点における課題としては、機械学習技術の急速な発展に特許法がどう対応していくか、そして医療技術分野でのイノベーションと特許保護のバランスをいかに維持していくかが今後の重要な課題となるでしょう。